家族の感動物語はあまり得意じゃないけど、コンサートの無音演出と自分のためだけに歌う娘の喉に触れるお父さんのシーンが効いてた。(泣いた)
当事者が配役されるべき論、少なくともこの映画では素晴らしかったと思う。例えば日本人役をアジアの他国人がやって片言な日本語話してるのに引っかかったり、昔は白人が黒塗りして黒人役をやったりしていて今となってはあり得ないと思うのと同じように、これからは当然のことになるのかな。となるとドライブマイカーの聴者による手話話者役はどう捉えれば…?
スカム熱再燃中なのでシャグズよき。