庵野秀明色に染められた仮面ライダー。
そういう意味では正しく「シン」シリーズのど真ん中にある作品であった。
シン・本郷猛は
「周囲の人間や環境、状況に流されてしまう主人公」である。
すなわち、この作品のシン・本郷猛の行動、意思決定は
それがどれだけ力強いものであっても
決して主体的に主張されたものではなく、
近くにいる「強い女性」に促されて「持たされたもの」である。
まさにエヴァンゲリオンの碇シンジ君そのもの。
この作品の「強い女性」である浜辺美波の二次元感、非日常感は、
まさに綾波レイや飛鳥ラングレーを想起させる。
(浜辺美波の目が光るシーンは、まったく自然体であった)
シン・本郷猛はまさに「シン」っぽい、
「流される主人公」「弱いヒーロー」というべきか。
その技術や存在感、肉体的な強さ・暴力性は別にして、
気持ちは完全に「流される」ものである。
誰かや何かに背中を押されないと動くことはない、いや「動けない」。
他人や環境に依存しており、その精神においてマッチョなヒーロー性は見出せない。
一方、ショッカーにせよ、仮面ライダーにせよ、
格闘シーンで殴られると血が流れるという演出は、
子供の頃に見た仮面ライダーに
そこはかとなく感じた違和感に対する回答となった。
そしてショッカーや怪人を殴り殺した後に
仮面ライダーが葛藤するシーンも
彼が半分は人間であることを思い出させた。
殴れば痛い、血が流れる、悲しい気持ちになる。
またこの作品のアクションシーンは、無駄に情報量が多すぎる。
そもそもアクションシーンが多すぎる。戦いすぎ。
そこに、たとえば「ブラックパンサー」のような現代政治批判は見られず、
ただひたすらに単純な勧善懲悪である。
「シン」の角度から仮面ライダーを再解釈し、
本郷猛を「流される主人公」として見せたこと、
その中で浜辺美波の存在感が秀逸であったこと以外、
特筆すべきものはないと思う。
私はギリギリ、TVの再放送を含めた古典的な仮面ライダー世代ではあるものの、そうでない若者からすると退屈極まりない時間だろうと思う。