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女と男のいる舗道のparsifal3745のネタバレレビュー・内容・結末

女と男のいる舗道(1962年製作の映画)
2.7

このレビューはネタバレを含みます

「勝手にしやがれ」は、随分と前に観たっきりだけど、似ているって感じた。既成的な価値観を否定、論理的な会話は成立せず、いまある状況が酷くても、短い反意的、詩的な言葉で修辞してみせ煙に巻く。
 ナナは、女優を夢見て、子どもを置いて離婚、写真を撮りたいという男に騙され、娼婦に転落。しかし、女優は、自分の外側で演じ、客に媚びを売り、金をせしめる商売。娼婦も、似たようなものとも言える。
 女優を諦め、娼婦を演じるナナ。しかし、哲学者に会い、人生に愛は必須と知る。この時点で、ナナの内面は、もう既に死んでいることに気づいていたのかもしれない。
 終幕は、娼婦として別な業者に売り飛ばされかけ、商談が成立せずに、何故かナナだけが撃たれて死ぬ。
 「勝手にしやがれ」では、自分の暴力性が仇となって死ぬが、「女と男のいる舗道」では、自分の愛欲性が仇となって死ぬ。
 ヌーベルバーグは、WWⅡ以後、既成的な価値観が崩壊し、リベラル、実存主義的な価値観によって生まれたと聞くが、実存主義は個個人の実存に立脚しているがゆえ、儚く、刹那的で、受け継がれるものではない生き方のように自分には思える。それ故に最後は、死へと帰結するのではないだろうか。
 なんとなく格好よく、自分らしさ全開なのだろうが、長い目でみると破綻する考え方のように見えてしまい、自分は推さない。
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