まぬままおま

田舎司祭の日記 4Kデジタル・リマスター版のまぬままおまのレビュー・感想・評価

3.5
ロベール・ブレッソン監督作品。
初めてロベール・ブレッソン監督作品をみた。

正直、理解できたのは1%ぐらい。背伸びしてみてしまったことは否めない。

事前情報について。
ロベール・ブレッソン監督は、映画をシネマトグラフと呼んだ。
そしてシネマトグラフとは、「運動状態にある映像と音響とを用いたエクリチュール」(p.8)である。また彼は映画を二種類に分けており、それは「演劇の諸手段(俳優、演出、等々)を用い、再現するためにキャメラを使う映画」と、「シネマトグラフの諸手段を用い、創造するためにキャメラを使う映画」(p.7)である。そして後者に重きを置いているようである。
さらに演じるものを俳優ではなく、モデルといったことも有名である。それは、「見せかけること(俳優)ではなく、在ること(モデル)」(p.5)といった意味で用いている。
「創造すること」について、彼が言っていることは、「人物や事物を歪曲したりでっちあげたりすることではな」く、「存在する人物たちや事物たちの間に新たな諸関係を取り結ぶことだ、しかもそれらが存在しているままの姿で」(p.21)ということである。

本作についていえば、話の筋を追うのは、不適のような気がする。日記とは、日々の断片的なエクリチュールである。だから断片的なエクリチュールを綴った日記帳が一つの小説のようになるわけではない。つまり物語として始まりも終わりもないのである。

だからモデルとしての田舎司祭が送る日々の〈出来事〉の諸瞬間/ショットを眼差すこと。そこで取り結ばれる関係を注視することが求められている気がする。

また本作の原作はジョルジュ・ベルナノスの小説であり、それを映画に翻案したものである。演出を削ぎ落しつつ、小説を忠実に表現した手法。「シネマトグラフ」の手法を確立した作品と言われるのが何となくわかった気がする。

田舎司祭の孤独を感受すること。それだけが私が本作と取り結んだ関係である。

参考文献
ロベール・ブレッソン著松浦寿輝訳(1987)『シネマトグラフ覚書ー映画監督のノートー』筑摩書房