ユダヤ人強制収容所に関わったナチス党員、看守、近隣住民の証言から浮かび上がる「凡庸な悪」。おぞましいが、僕らの心の中にも巣食っている事実を認めざるを得ない。
「99人が虐殺命令に従うなら、私もそうするよ。逆らえば自分が危ないだろう」
「ユダヤ人虐殺はひどい。でも、私はただの看守だった。責任とか言われても困る」
「ヒトラーが悪いとか、誰が悪いとか言えないよ。 そういう時代だったんだ」
「われわれドイツ人は勤勉で几帳面だ。なぜ過去を恥じる必要があるのか」
証言に出てくるユダヤ人虐殺を「関東大震災の朝鮮人虐殺」に、ヒトラーを「昭和天皇」、ドイツ人を「日本人」に置き換えれば、そのまま日本人の発言だ。
結局、インタビュアーの「加害責任を感じるか」との質問に「感じる」と答えたのは、たった一人だった。残りの人は「どうすることもできなかった」「自分は悪くない」を連発。こうした傍観主義が生み出す「凡庸な悪」が、歴史を歪め、ファシズムの再来に道を開くような気がしてならない。
「ゲッペルスの秘書」の姉妹作と言えるような作品だった。淡々と証言を伝える内容であるだけに、かえって言葉の迫力を感じる。見ておいて良かった。