KAJI7

ひまわりのKAJI7のレビュー・感想・評価

ひまわり(1970年製作の映画)
4.2
視界の端で、ビル群の影が一つまた一つ、線になって溶けてゆく。
四角い窓の外の風景は僕を背にしてどんどん南へと流れていって、もう二度と元の形には戻らない気がする。
今の自分には天さえ動かし、星さえ操れるのではないか?
そう履き違えれば、日帰り旅行の始まりだ。

目的地は京都の宇治駅。
そこに何があるのかも、何処にあるのかもよく分かっていないが、行ってみればきっと何かを感じるだろうし、何かを見つけることが出来るだろう。
Que Será, Será(:風の吹くままに)というやつだ。

あいにく天気は曇りだが、そんな事は雲を流せる僕にはどうだって良い。どうせ雲の上は快晴なのだ。
秘密にしているつもりの様だが、人間様はお天道様のそういう秘匿主義を何世紀か前にすっかり見抜いてしまった。
そんなふうに、目に見えているものは、物のほんの一側面だと僕たちは知っている。
だからこそ、大切なのは実際に色々な方向から見てみる精神と、実際に見たというその経験に違いない。
本を読んで何かを知った気でいるマセガキの僕みたいな奴には、こういう肉薄する時間が少なからず必要なのだ。


これから行く街の事を想ってみる。
僕以外の何かで構成された街、誰も僕の名前を知らない街のことを。

向かう線路の上には幾つか止まった家や店が見え、真ん中から遠ざかるにつれて乗客は減っていく。
緩やかなカーブに合わせて、イヤホンからはキリンジの『Drifter』が流れてくる。
そうして気がついた時には、僕は人類最後の1人になっていた。
黙々とマストに風を蓄える列車と、片隅で小さく呼吸する僕のコントラストが、なんだか面白い。
まるでこの空間の全てが隣に座ってきて、ウトウトしては僕の肩に長い黒髪を預けてくるような、そんな愛しさを確かに感じていた。



一時間ほどで駅に着いた。
改札が器用に切符を吸い込んで、なんだか歓迎してくれている気がした。
出ると、宇治茶の気高い香りに混じって、どこからかタバコの匂いがする。
並木道には桜こそ咲いてはいないけれど、菜の花が温かい黄色を地面に添えて、春は満開だ。
遠くに見える橋は褪せた緋色に染まって、大らかな川を侘しげに跨いでいる。

とりあえず、何も考えずにフラフラと、見つけたものに名前をつけては適当に書き留める。
しばらく彷徨っている、1人だが孤独ではない男の姿を、石造になった紫式部が目で追ってくる。
だが筆をとる女流作家はすっかり死んでしまっていて、童顔の美人なのにナンパしようにも脈がない。
タイプなだけに実に残念だった。

昼下がりにアルバムはすっかり一周して、プレーヤーは『グッデイ•グッバイ』というナンバーを掻き鳴らしていた。
鼻歌を歌っても、すれ違う野鳥を追いかけても、たった1人でいられる昼。
贅沢なグッデイ、母星へのグッバイ。


僕は目についたお蕎麦屋さんに入った。

蕎麦は素晴らしい食べ物だ。
江戸時代から続く日本文化の極みにして、粋の結晶。
この国に生きることの幸福が、喉越しの良いキレのある麺となって具現化した、それが蕎麦なのである。

70年も続くというそのお店。
お年を召した夫婦2人が切り盛りしているようだ。
水水しいおばあ様と一通り会話を嗜んだら、漫然と川辺に目を遣りながら蕎麦がこちらに越してくるのを待つ。
トントンと規則正しくリズムを刻むまな板の歌声が、なんだか懐かしかった。

出てきたのは「茶蕎麦」というお蕎麦。
麺に抹茶が練り込んであって、深い緑色をしているのが特徴だ。ご主人曰く、宇治には昔からある郷土料理だという。濃いツユと香りの強いネギにくぐらせてから、挫折してへたり込んだ麺を啜って励ましてゆく。
沈み込んだワサビのツンとした凛々しさが喉に心地良い、最高の料理だった。


店内のFMラジオをひとしきりテーブルの上に響かせた後、外に出た。
ぶらりと歩きながら興味に任せて梅干しの専門店や、立ち飲みの日本酒屋、和菓子屋、猫カフェ、どれも漫然と入っては少しずつ、けれど確実な殺意を込めて財布の首を絞めていく。
息ができないのか、彼女の苦しむ声が聞こえてくるが、僕は細い首にかけた手を緩める事はしない。せめてこの幸福の中で、この時間の中で殺してあげたいのだ。
それが僕が彼女に出来る唯一のことだったから。

このまま一緒に心中しようか。
そうやって尋ねてみるが、革で出来た恋人はぐったりしていて、返事がない。
「中身の無いヤツだ」と呟いて、フラフラしながら駅へと歩いて行く僕には、もう何も残っていなかった。
空っぽの煙草の箱、アザだらけのデニムジャケット、京都の低い星空。

そして虚無感とアルコールに酔って、寄り道した神社の賽銭箱に残りの小銭を全部吐き出した。
そしてふと冷静になって、僕は大好きだった彼女を遂にこの手で殺してしまったのだと気がついた。
取り残されたのだと、本当に1人になってしまったのだと。
思い返せば、僕は彼女からはいつも貰ってばかりで、結局何一つとして与えてはあげられなかったのだ。


後を追うなら今だ。


「きっと今、僕は死ぬべきだ。」




川のせせらぎに、雫が二つ三つ溢れる。

水は次第に遠のいて、塩の香りと母の面影を探して旅立っていった。
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…。

かなりの回り道をして駅に着いたのは22時過ぎ。終電はギリギリだった。

さて涙を拭って、日常に戻ろう。
ごっこ遊びの日常に、シラフなのに狂った日常に。
そう覚悟を決めて改札に差しかかったその時、Suicaを部屋に忘れた僕は気がついた。
切符を買うお金がなかったという事に。



宇治の夜風は、春先でも冷たかった。
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