MasaichiYaguchi

祈り 幻に長崎を想う刻(とき)のMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

3.5
田中千禾夫さんの傑作戯曲「マリアの首 ―幻に長崎を想う曲―」を松村克弥監督が高島礼子さんと黒谷友香さんの共演で映画化した本作は、原爆によって心身に癒されぬ傷を負った人々を通して、戦争とは何か、人間の尊厳とは何かを問うている。
1945年8月9日午前11時2分、長崎市に投下された2発目の原子力爆弾によって人口24万人のうち約7万4000人の命が奪われた。
映画のモチーフとなっている東洋一の大聖堂とうたわれた浦上天主堂も被爆し、外壁の一部を残して崩壊する。
本作は、それから12年の時が過ぎた昭和32年を舞台に、この崩壊した浦上天主堂の被爆したマリア像を巡る群像劇が展開する。
高島礼子さん演じる鹿は、隠れキリシタンの末裔で、昼は看護婦、夜は娼婦という二つの顔を持っている。
一方、黒谷友香さん演じる忍は病弱な夫と乳児を抱え、闇市で詩集を売っている。
忍には仇とする男がいて、詩集を売りながら復讐の機会を待っている。
この2人の女性を軸に、昭和32年という戦後から高度経済成長に歩み始めた日本で、戦争の傷痕、特に被爆の悲惨さ、被爆者の苦しみが過去のものになりつつある社会が映画のバックボーンにある。
物語自体は、被爆して破壊されたマリア像を盗み出す人々の姿と、何故受難のマリア像を盗み出さねばならないのかを、長崎県浦上の歴史的な部分を織り交ぜて浮き彫りにしていく。
コロナ感染爆発のニュースがクローズアップされがちな今夏だが、改めて原爆や戦争について見詰め直す時期かもしれない。