このレビューはネタバレを含みます
観たいヴァーホーヴェン、期待通りに期待を超えてくれた。こういう感じの映画を待ってた。
小生の興奮はさておいて、この映画の主人公はマリア信仰だと解釈した。
はっきり奇跡を起こしていると描写しているのは成長前にマリアに祈っている時だけである。
修道院に入れられた後はキリストに祈ることになる。また、貧困のバルトロメアを導く役割も担うことになる。
火傷の件は、聖母から贖罪を許されたということだと思う。バルトロメアはマリアと存在が重ねられている。
ベネデッタが幼少の頃にマリア像に潰されかけたシーンとバルトロメアとのセックスシーンで同じ構図が出てくるのはその為だろう。
また、ベネデッタがキリストと邂逅するシーンを順番に追うと、蛇に襲われているところで救われる→獣のような男たちにレイプされそうなところから救われるもの、キリストではないと判断する → 磔キリストに手を合わせて聖痕を共にするも、局部に男根なし。
要は女性は蛇ではないのだ。
また信仰の対象に男根があってはイヤなのだ。
男根なし妄想キリストと下半身棒マリア像との対比は、普通に考えてもヤバすぎるが、、、
これらは何を表しているかというと男性嫌悪であろう。
キリストに信仰は見出せず、修道院での奇跡は全てバルトロメアとの性愛への行動と言える。マリア信仰ともいえるし、シンプルにレズビアンだったからマリアに祈ってたとも見える。
ペシアの主席司祭の傍には身籠った側室?もいた。
流行のペストにめげずに子供を産む力強い女性として登場させている。無駄に母乳を出させているのは、ギャグだけでなく力強さという意味もあるはずだ。
高貴な出自のベネデッタ、貧困のバルトロメア、世俗から距離のある聖なる存在としたは共通していているだろう。
両者とも貨幣経済のもとに修道院へ売り飛ばされている女性として描かれている。
娼婦≒との存在も匂わすシーンがあるが、俗と距離がありながらも二人とも胸を張って恥じていないところを示している。
バルトロメアが修道院から追い出されるところでセリフで明示されているように。
自殺したクリスティナは恥が元で自殺した。
主人公2人との対比であろう。
磔からのシークエンスは映画的カタルシスが押し寄せており、もう最高!
ラストは妙で、裸であるところから服を着て戻ったということは、知恵の実を食べて人間になり俗に戻ったということだろう。
その後に静かに暮らしたと書いてあることはその裏付けであると思う。
全編通していえるのは、期待通りの相変わらずセックスアンドバイオレンスでキリスト教の中指立てていて、ブチ上がる映画なのは間違いないだろう!