Go

ドラゴンボール超 スーパーヒーローのGoのレビュー・感想・評価

3.0
【「焦らし」と「溜め」の演出不足】
※どうしても旧Zと比較しての感想が多くなりますので ご了承ください
------------------------------------------
旧Zの劇場版と比較すると 尺が長い分テンポが悪く焦点がぼやけた印象がある
しかし近年リブートしてからの「超」シリーズ中では屈指の良作
と 珍しくいきなり褒めてるけれど 相対的に「超」シリーズが気に食わないだけである

絵の線や塗りと人造人間2人はかなり今現在の原作者の作風が反映されている雰囲気で全体的にポップな仕上がり
逆に旧Z時代のようなシャープなカッコよさは薄く CGの動きもどこか形容しがたい違和感を覚えた
バトルもののアニメには旧Zの絵柄の方が向いているような気はするし いわゆる新しいパワーアップを果たした2人の姿は なんだか「とよたろう」味が強すぎて好きになれない

さて ストーリーに関して
殴り合い主体の映画には違いないが 前半では 時の流れと共に更新されている人間関係が見どころで 新規ファンにもキャラクターの関係性がわかりやすく入りやすい
主人公側の面々が悪の秘密組織とされているのも 言われてみれば八百長試合で格闘技世界チャンピオンを仕立てて そいつから金を受け取ってたりするのが何となくそう見えておもしろい

悪事というほどではないが 悪用されないためと理由をつけてドラゴンボールを占有しているのは「人々の希望」としてドラゴンボールを作った先代の神の意向に反しており不当では?笑

冒頭で焦点がぼやけた印象と書いたが サブタイトルの「スーパーヒーロー」が主軸であったのは間違いなく 2人の人造人間は そうなるべく誕生した存在だったし スーパーヒーローとは父親のことでも 師のことでも 自慢の弟子のことでもあったり 力不足にもかかわらず妻のために飛び込んでくるクリリンのことでもあっただろう
しかし演出に「溜め」と 「焦らし」が足りないために映画全体が平坦な雰囲気になってしまい盛り上がりに欠けて結局何を伝えたかったのかよくわからないまま 人格も目的もなく大暴れする怪獣・ワカモトをみんなで殴っておしまい…

最後に悟飯が放ったあの技に関しても 撃つ前からその構え見せてちゃ面白みがないし 何よりあの技を使う理由に なぜ セルには「かめはめ波」は効かなかった という設定を活かさなかったのか
弱点を撃て!→でもかめはめ波は効かない→強靭な装甲を貫くにはあれしかない!という流れならこの後
悟飯はギリギリまでかめはめ波と見せかけて 撃ったのは意外にも…としても盛り上がるだろうし
ピッコロさんに「あれを使え!」と言われて「でも 僕に出来るだろうか…?」っていう悟飯との師弟関係を強調するやり取りにも使えたのに 何でもいいから撃てって言われたからちょっとやってみましたってノリなの勿体なくない?これが現代のスタンダードなの?
結果 出たのもなんかイメージと違う太いビームだし
もっと一点集中の貫通攻撃のイメージだったんだけどなぁ

そもそもバトルシーンにあまり迫力があるとは言えず 設定としてはみんなZ中期頃よりかなり強くなっているはずなのに映像からはそれがまったく感じられない
セリフで強さを説明するだけだ
これはZ終盤から変わらずの不満点だが もう強さの表現として『光がデカい!ビームが太い!』という以外に描きようがないのか?
現実の格闘技と違って 技術じゃなく単純な身体能力勝負でしか強さは語れないのか?

本作の中でも盛り上げとしてキャラクターたちが徐々にギアを上げていく表現はある
トレーニングの一環として着けていた重いマントを外したり 各種変身もそうだ
しかしそれらの今より強い力が必要になったという表現「焦らし」が あまりにもにあっさりしている
敵として登場する2人の人造人間にしても レトロなデザインに光線銃くらいしか特徴がなく どう強いのかわからないうえ 2人組であることも さほど上手く活かせていないのはどういうこと?
そして劇場版恒例の「最後にみんなで殴る敵」が既存キャラをちょっと変えたもので しかも今回は弱点がありますと名言されている

そんなのを いくらセリフで「強い」「大変なことになる」と説明されても これでは視聴者は危機を感じづらい

そういう 最終的に逆転勝利となるのはわかってるとしても そこへ至るまでの視聴者への「焦らし」が足りない
そのうえ見た目がポンポン変わって さっきより強くなりました!って…
上映時間が伸びたにもかかわらず なぜそこをあっさり済ませてしまうのか?
旧Zでは 尺稼ぎを兼ねた演出だったと思しき「はぁあああ…」とか「あ、ああ…レ、レベルが、違いすぎる…」っていうアレ
重厚な「溜め」の演出となっており けっこう必要だったんだなあと実感せざるを得ない

演出の力不足を感じるもうひとつの要因は まったく記憶に残らないなんとも淡泊なBGMにあり これのせいで画面の迫力まで奪われているように感じた
劇伴はあくまで添え物で主張しないのが良いとの考えもあるだろうしそれを否定もしないが 菊池俊輔先生の耳に残るあのBGMあってのアニメ版ドラゴンボールであったと再認識

旧Zの劇場版もぜんぜん名作揃いということはなく 思い出補正とでも言おうかひいき目なのは否めないが 本作に関しては決してデキは悪くないのにあまりに 「ケレン味」がないのが残念すぎる

ピッコロさんファンとしては 正直見たいのはこれじゃなかった
いつも主人公を立てるため途中でやられちゃう役割を担ってきたけれど 今作ではスピンオフとして主人公扱い
でも無駄に私生活を新たな設定として作り上げられて逆に不満だった
ミステリアスな魅力を台無しにしてまで ぬいぐるみがたくさんある家に住み 変な持ち方でスマホ使ってビデオ通話してるピッコロさんを見せたかったのか?

いやおもしろかったよ?顔が緑であんなガタイでかくて変な服なのに 子供のお迎えに保育園行って先生には保護者の方ってちゃんと認識されてたり 新しく弟子とって今度は優しく丁寧にイチから教えてあげてたりするの 見てて全然悪い気しなかった
でもやっぱり
普段何やってるかわからないけど 必要な時には必ず来てくれる
どこからともなく気功波が飛んできて欲しい
目をやると わけのわからん高所でマントを翻してカッコつけてて欲しい
先代ピッコロ大魔王から受け継がれてきた あの専用BGMで登場して欲しい
押し寄せる敵を ちょっとザコより強めの中堅クラスの敵を 一瞬で蹴散らして欲しい
そういった 旧Zの劇場版で散々見てきた 「おやくそく」
見たかったのはそういう「スーパーヒーロー」なピッコロさんだったな
ボス敵にワンパンで退場させられるパターンだけ取っ払ってくれれば それで満足だよ

そもそも あれだけストイックに強くなることだけを追求して自分を高め プライドもこだわりもピッコロと神双方の人格までも全部捨ててふたたび1人となったピッコロさんなのに まだ潜在能力があるのも変な話だし ましてや格下の神龍にそれを引き出してもらえるのおかしくない?
その他 あの策士ピッコロさんが他人に言われるまで自分の能力を忘れていた?とか クリリンお前その貧相な体格どうしちゃったんだよ?
など キャラクターの人格含め脚本や見た目におかしなところやツッコミどころは数多くある
これじゃゲームなどで新キャラを出すため そしてこれからもシリーズを展開していくための軽いテコ入れ…
つまり商業的に必要な ピッコロさんと悟飯の強化形態とブロリーが仲間になったことを見せたかっただけでは?と邪推してしまう

最後に一言
古川登志夫さんの「でゃだぁ!わたたたっ!おわったぁ!」が聞きたかったな…
Go

Go