かりんとう

こちらあみ子のかりんとうのレビュー・感想・評価

こちらあみ子(2022年製作の映画)
3.9
美化してはいけない。すべての「大事にされない子どもたち」のやるせない現実。

父親を擁護するような意見が散見されるが、そういう方々は男性だろうか?
あみ子が必要な療育や支援を受けられず、挙げ句厄介払いをされたのは他でもなく全面的にこの父親の責任である。
一家離散状態となるのもしかり。
彼は「優しく見守る」父親なんかでは断じてない。
血の繋がった子供ですら希薄な関係しか築けず、病んだ妻は医者任せ。
非行に走った長男に至っては、むしろ居なくなってくれてホッとしている感すら伝わってくる。

発達障害は高確率で遺伝するというのが定説になっているが、おそらくこの父親も軽度の障害があるのだろう。
言及こそされていないが、前妻はおおよそこんな責任感のない旦那に愛想を尽かして出ていったのだと推察できる。(原作だとその辺書いてあるのかな?)

物語序盤で懐かしの写ルンですが登場するので、平成初期の話かと思ったが、お習字教室で子どもたちがニンテンドースイッチをしているところを見ると、現代の話だとわかる。
Googleに「発達障害」と入力すればいくらでも情報は手に入るのに、この両親は完全に自分の人生を憂うことしか考えていない。
子を持つ親として誠に腹立たしい。
しかし、しかしだ。同時に「うちの子はこうじゃなくて良かった」と思ってしまっている自分の狡猾さにも気付かされる。

入浴もろくにせず、素足で登校するあみ子。
テストや授業も理解できないあみ子。
長年想い続けている好きなこの名前も読めないあみ子。
そんな彼女が実の親からも教育機関からも何の手も差し伸べられないのがひたすら歯がゆい。
「現実はそんなことないはず。今は全国の学校に発達障害に関するガイドラインも確立されてるし」
と多くの人は思うだろう。
しかし本当にすべての子供達が網の目に引っかかり、救済されているのかは疑問が残る。
現実にすべての子供達が周囲に大事にされているのならば、連日虐待死やいじめ自死のニュースなど聞かずに済むはずだ。

あみ子にも意志はある。
それ故に、自分の置かれている環境が理解できないことが本当に切ない。
好きな子に暴力を振るわれた意味もわからない。
自分が疎まれる理由もわからない。

ラストシーンはあみ子の力強い「大丈夫じゃ!」という台詞でカットアウトするが、彼女はこれから幾度となくあの台詞を口にしながら大人になり、歳を重ねていくのだろう。
全然大丈夫じゃないよ。あみ子こそ人に甘えて、頼って生きていいんだよ。
その術もわからないあみ子に、この先の彼女なりの幸せがあると信じたい。
あの時海辺で彼らの船に乗らなかった選択が、正しかったと思えるような未来が。


最後に、数百人の中からオーディションで選ばれたという、主演の大沢一菜さんにはとてつもない可能性を感じた。
彼女はどう見ても「本物」にしか見えなかった。
これからいろんな作品で彼女の活躍を観られることを期待する。