たかが世界の終わり

逆光のたかが世界の終わりのレビュー・感想・評価

逆光(2021年製作の映画)
3.7
はじまりは、ロープウェイのアナウンスから。

汽車が汽笛を鳴らすように
ここから目の前に開かれる物語の記念すべきスタートの瞬間を、
そのくぐもった声が我々観客に告げるようだった

これから広がる映像がどんなものなのか
楽しみと期待で落ち着かない気持ちに…
(もちろん、良い意味!)

遠征が難しい時代柄なのか、
東京生まれ東京育ちが時代的に増えたからなのかわからないが

新しく封切りされる日本映画は都内のみで撮影されたものが多く、
今の小規模映画館のなかでの流行りのような感じがする

そんな中で、尾道という場所を舞台にしたこの映画は、
人によっては、一見そうした今風の哀愁ただよういくつかの作品と
近しく思えるかもしれない

でも言うまでもなくそれは全く別で
監督や脚本家の強いこだわりを感じ、
見ていてすごくどきどきした

過去の作家や歌手、喫茶など
失われたもの、失われつつあるものに惹かれがちな私だが、
終演後、安堵感と戸惑いの狭間にいた

もちろん、古いものを愛する人がそれを周囲に共有する様子は
見ていて嬉しい気持ちになるし、

若者たちが一つの場所に集まって
我が国や世界の政情を議論する様子などは
それこそ、三島と東大全共闘との討論の熱感を彷彿とさせ
それを表現しようとした製作側のこだわりをひしひしと感じ
ひどく興奮した

しかし、新たな創作物で過去を表現することで
得られるものは何だろうとと問い始めると
あまり前向きな答えに辿り着きづらい

※昔の映画を再上映する、とかではなくということ

地方の魅力を
観る人に思い出させたり、はたまた知るきっかけになったりと
実用的な意味では良さはいくつも思い浮かぶけれど、

それこそ、思想的な意味でというか、
純文学的な意味で再考する場合、というか…

存在価値と言ってしまうと
言い過ぎな感じもするので違うな…

ひとまず、それについての答えは、
これからゆっくり考えてみるとして…

話は変わるが、
私が直感的にこの映画から漂うモワッとした匂い
(私の嗅覚は反応した!)を
何故かすごく親しいものに感じたのだが

その原因はウォンカーアイ監督のつくる映像に
近しいからか、とパンフレットを読んでハッとさせられた

とくに、祭りに行く途中で
彼らが吸い込まれるように寄った脇道で
開かれていた議論する若者たちの集いの場面、

そのあと、高架下で晃と文江が失踪したみーこを探すため
少し苛立ち気味に会話をする場面などで

その“匂い”はすごく強く発されていた

人物の視線のスローな動かし方や
それに反する場面展開の忙しなさ、

ネオンを感じさせる鮮やかな色合いや
若者独特の猥褻な空気感...

喫茶店で会話する主人公たちを撮るカメラの動かし方が
極度に早かったりするのもね〜!

ウォン監督の作品の雰囲気と重なる部分が多かったからといって
別に良いも悪いもないし、何の批判でもなくて

表現する映画全体の色合いが
本当にすごく高度で圧倒されたということ

また、晃が日焼けで痛がる吉岡の背中に
氷枕を背中に乗せてあげるシーンが
この映画のピークであるように感じたのだが
(単純に、主人公·晃の視点でストーリーを追った場合)

同性愛の要素を取り入れたのは
個人的理由からか、作る中で周りと相談して決定したことなのか、
それとも時代の風潮からの影響なのか、少し気になった

サインを書いていただいているときに、
聞こうかと思ったのだけど
内面を詮索するような質問だと受け取られたら
申し訳ないのでやめました…