都部

ディア・エヴァン・ハンセンの都部のレビュー・感想・評価

1.5
個人的には『不出来』の一言で、ミュージカル/ミュージカル映画/劇映画とそれぞれの方向性から別口に評価しても、そのどれもが至らない出来として終始しているという印象。死人に口なしとばかりに尊厳なく死人を体良く扱う感動ポルノ的な物語と、それを正当化する構図のグロテスクさに自覚的とは思えない演出や展開の差し込み方は、制作の倫理観を疑うには充分で端的に不快な物語だったなと。
感情的な評価も時に参考になりますが、今回はあえて順序立てることでこの映画のどこが問題なのかを訥々と纏めていこうと思います。

1.ミュージカルとして──不勉強ながら原作であるブロードウェイ版を私は鑑賞していないのですが、原作同様に本作は心理的な脆弱性から取り返しの付かない嘘を吐いてしまった青年の物語が語られます。
本作はその嘘の破綻までを物語るのですが、この物語の中での歌唱のタイミングは自己の擁護や他者の吐露と語り手に都合の良い状況下でしか挿入されず、その偏狭な感情の幅に相応しい平坦な歌劇しか展開されないというのは表現としてどうなのでしょうか。
また楽曲の数々も同じような曲調の曲が多く、視覚聴覚の両方から観客を刺激するような印象に残る楽曲に恵まれていないようにも思えます。

2.ミュージカル映画として──本作はミュージカルの映画化という規模感の拡大を十全に操作出来ておらず、映画化による恩恵を作品に反映出来ていません。作品の売りである歌劇において、その規模感が拡大した舞台空間を活かしたシークエンスは殆ど見られず、作品としての性質の差別化がまるで成されていません。また感情の流動を大味に歌詞として歌い語ることでその機微を取り零しているのも事実で、それは本作がミュージカルであることの必要性を欠くことに繋がっています。

3.劇映画として──原作をより呑み込みやすくする為に多くの改変が施された本作ですが、140分弱の映画としては話はそれでも薄く、その上で描写不足と感じる点が多々存在します。
まずエヴァンの自罰的な側面がまるで語られないことで彼の自己中心的な振る舞いは強調されており、嘘を吐かざるを得なくなった感情の様相が示されないため、ただ嘘を重ね続ける彼の人間性を肯定的に見る姿勢はあえなく否定されます。
また明らかに腹に一物を抱えていた故人であるマークの背景がまるで触れられない点から、結果的にエヴァンの周囲も含めて、彼の死を体良く扱う感動ポルノと化していて、その醜悪さに対して無自覚な演出の連鎖には落胆させられます。
そして登場人物がそれなりに限られているにも関わらず、誰一人としてその感情線が結実しているとは言い難いドラマの着地は観客に溜息を吐かせ、そして全てを悟ったかのように物を語りエンドロールを迎える主人公の存在に怒りを覚えることでしょう。

以上の点から本作の評価点は限りなく零に近しく、その限られた良さというのも原作の既存の要素の焼き直しに過ぎないため。映画としては褒められたものではないとしか言えません。
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