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ディア・エヴァン・ハンセンの鑑賞者のネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

原作ミュージカルを知らないので、映像化としての成功云々は知らん。(そもそも「映画を批評する」ってどういうこった?原作との関係性をどう考えりゃいいんだ?海外の批評家のレビュー見てたらいろいろ分からなくなってきた……。)

【問題点】
・ハンセン少年がリアリティある存在であることをもっと強調しなきゃ。精神疾患※に対する理解が遥かに不足する現代において、彼に拒絶反応や懐疑心を示す観客が多数いることは想定されるべき。したがって、ハンセン少年に対する嫌悪を感じた観客を多数生み出してしまった時点で、本作は失敗の誹りを免れない。これ多分、ドラマでもっと時間かけて描いてたら傑作にできたと思う。(『13 Reasons Why』的な。)
※本当は「精神疾患」という言葉は使いたくない。というのも、この概念は社会的に構築されたものに過ぎないから。ちゃんと人間というものを見れば、誰もが「精神疾患」の要素を備えていることは明らか。この意味でも、「精神疾患」ひいては人間存在に対する現代人の理解の無さは著しい問題である。
・ただしね、ハンセン少年への理解が可能になったとしても、別の問題がある。それは理解が必ずしも共感を導かないということ。可能的な心理メカニズムとしては理解できても、別のメカニズムをもった人間からしたら共感するのは困難。制作陣が端からハンセン少年への共感を観客に求めてないならそれでいいんだけど、見てる感じそうではなさそうなのが何とも。
・これは完全に本作の評論を超えた話だが、「あなたは独りじゃない/You are not alone」という言明を僕は断固として拒否する。この言明は端的に虚偽である。真なる言明は「独りなのはあなただけじゃない/every one of us is alone」、これである。孤独でない人間などありえない。

【良かった点】
・「嘘」がもつ虚構性と「ミュージカル」がもつ虚構性を重ねるという手法は巧み。コナーとのメールを偽装するシーンが典型的。(念のため説明しとくと、ミュージカルの虚構性というのは、“日常”の文脈で歌ったり踊ったりすることのありえなさのこと。)
・アラーナというキャラクター。外から見れば「強い」とされる人間が内に抱える苦悩というテーマ。「強きが弱気を助く」という思想を他者に押し付けてはいけない。そのような押し付けは、ひとりの具体的実存を相手にした態度ではない。相手はもはや「誰かさん/anonymous one」でしかない。「〇〇は良いよね。強くてさ。」とか絶対に言うな。この言葉がいかに殺人的であるか。この一言で彼等の最後の望みは絶たれうる。本当の自分を肯定してほしい、という望みが。
・エイミー・アダムスの演技。ディナー卓でハンセンの話を聞いてるときの顔がもはや「母性のイデア」。ママァ!ママといえば、ハンセンママのシングルマザーとしての気概には圧倒される。息子にとって自分では十分であれないと自覚しながらも、自分にできる最大限の努力をする……。女将、ここに愛がありましたぁ……。
・他の俳優陣の演技もすごく良い。ジュリアン・ムーア、ケイトリン・デヴァー、ニック・ドダニ……。みんな良い。ジュリアン・ムーアの母性と父性が混在した眼差し、ケイトリン・デヴァーのちょっと不貞腐れたような真顔、ニック・ドダニのテンション爆速切り替え。みんな天晴。

【小言】
・嘘から始まったことではあったけど、コナーとハンセン少年との話で救われた人間がたくさんいたわけで。だからね、僕はね、生きることとか死ぬこととか全人類でもっともっと共有したいんだよ!誰であれひとりの人間が経験したことってのは比類なき威力をもつんだよ!この威力にはどんなフィクションも遠く及ばない。

p.s.
一瞬しか歌ってないけど、ゾーイの女友だちめちゃくちゃ良い声してね???(調べたらLiz Kateさんという方らしい。)
あとブロードウェイ行きてぇ!!!
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