き

ドント・クライ プリティ・ガールズ!のきのレビュー・感想・評価

-
メーサーロシュ・マールタ監督の長編3作目。劇場公開時はおそらく、残暑きびしい、蒸し蒸しとした日々のなかで、なんとか心を奮い立たせて映画館に行こうとしたものの、ぜんぜんだめで、ひたすら天井を眺めていたのをめちゃくちゃに覚えている。(気圧、湿気もろもろ、世界に左右されまくるあたしの身体🥲)

婚約者がいながら音楽家の青年と恋に落ちた女性の逃避行を、ドキュメンタリー風のカメラワークで瑞々しく映し出した青春もの。これまでは、そうやってふたりのあいだで揺れ動く主人公というのは男性とされる属性が多かったが、今回は女性が主人公(主人公の恋人も工場のべつの女の子にちょっかいをかけていて、そのことはまったく批難されない)。うだつのあがらない日々を過ごす若者というのはどこにもいるのだなと思わされると同時に、この映画にはほとんど親が出てこない(ユリと不良青年の結婚の取り決めのときにチラッと出てくるのみ)というところとみんなが男女別の工場の寮で暮らしているというところから、寄る辺のない若者たちが徒党(みたいなもの)を組まざるを得ない社会的背景を考えるなどした。そのうえで、主人公ユリ(どことなくアンナ・カリーナを思い出させる)が、不良たちとブラブラする日々に退屈な表情を浮かべ(隠そうともしてない)、無言に青年と行為することを拒み(チェリストとの行為は彼女の積極性を描いている)、それでも青年といっしょにいることを最終選んでしまうところに、彼女がいま、生きる上で精一杯の選択をしたのだと思わせられた。女性たちが、職を持つことができるようになった70年代という時代、平等を謳われた時代の不均衡さを思い知らされる。

劇中、いったん青年と分かれたあと、青年と兄が暮らす寮にやってきたユリにむかって、兄が「洗濯していってよ、来たついでに」と放ち、ユリもそれに従い男たちの服を洗い、恋人である青年もそのことを当たり前のように受け取っていて、しれっとすごいシーンだなとおもう。「女性の意思による選択」は、まだまだ社会のジェンダー規範のなかに収まっており、その上職を、と言われるもんんだから女性にもっと負担を強いている社会のありようだった。
き