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裁かるゝジャンヌの要のレビュー・感想・評価

裁かるゝジャンヌ(1928年製作の映画)
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初めてのドライヤー鑑賞。カラー映像が当たり前で育った世代の自分には、表現手法としてモノクロはカラーに劣るという感覚が少なからずあったんじゃないかと思う。白黒の映像の中に感じる色彩、質感のみずみずしさには本当に驚かされた。

ちょっと小難しいのかなと思って身構えていたけど「実はジャンヌの異端審問の記録はまるっと残っとるやで?刮目して真実を見よ✝(意訳)」というストレートな導入で入りやすかった。

人物の顔のアップが多いのが特徴で、ジャンヌの表情は憔悴しきって不安に打ちのめされているようでもあり、はたまた変性意識状態というのか神がかり的でもある。その存在が
常に純朴な農民出身の少女と救国の聖女の間で揺らいでいるのがわかる。
一方、審問官たちがジャンヌを罵倒したり蔑んだりしている意地悪〜い顔を大画面で見るのは個人的には結構つらかった、唾が飛んできそうな感じだもの。

前半はそんな場面が続き、これは教会批判待ったなし…と思って見ていたが…。ジャンヌがいよいよ火刑に処されるとなった時の審問官たちの佇まい、あれはハッとさせられた。同情しているような、自身の誤ちを悔いている様な、先程まで寄って集ってジャンヌを批判していた人とは思えない。
この映画が、ジャンヌという人間の多義性を表現しているならば(※)、審問官らもまた多義的な存在であるのは当然のこと。
そもそも、絶対的な神の審判のある宗教世界観の中で人が人を裁くことに罪はないのか。もしかしたら神殺しをしているのではないかと、彼らも心底震えているんだ。

火が放たれると、火刑台の周りではジャンヌの死を悼む民衆VS兵が勃発、その混乱をよそに静かに燃え朽ちていくジャンヌの肉体。もはや誰もそれを見ていない。魂の不在。それは無垢な少女の無意味な犠牲ともとれるし、ある種の神聖さ…彼女の女神性が再び立ち現れてくる様でもあった。

フィルムの来歴だけで映画一本作れそう。
初公開は1928年デンマーク。カトリック教会の検閲による著しい改変、オリジナルネガの消失に次ぐ消失。最終的にはドライヤーの全く関与しないところでの改変やコピーが繰り返され、さまざまなバージョンが世界に流通していったという。
今回鑑賞したのは2015年にデジタル修復されたもので、伴奏音楽はオルガン奏者カロル・モサコフスキによって作曲・演奏、2016年に収録されたものとのこと。

十字架や光と影を使い、信仰や神キリストを象徴するカットがすごくよかった。そのワンカットにものすごい質量の感情や背景が圧縮されていて、私は映画素人だけど確かに圧倒される表現があった。

※「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」特別解説
http://www.zaziefilms.com/dreyer2021/column/index.html
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