るるびっち

殺人鬼から逃げる夜のるるびっちのレビュー・感想・評価

殺人鬼から逃げる夜(2020年製作の映画)
4.0
人々の信頼につけこむ殺人鬼。
この映画でイライラするのは、聾唖の主人公・ギョンミの人を疑わない所だ。
母親が警告しても、紳士に扮した殺人鬼を信じてしまう。
実は、殺人鬼とギョンミは正反対の性格設定なのだ。
他人を信じず、むしろ人々の信頼を潰すことに精力を注ぐ殺人鬼。
聾唖で差別も受けているのに、他人を信じ込むギョンミ。
真逆である。
殺人鬼は被害者をすぐに殺さず、半殺しにして次の獲物を呼ぶ餌にする。
「助けて」とワザと言わせて、SOSに反応した相手を狩る。
人々の信頼を逆手に取るのだ。
お前のせいで、こいつは巻き込まれて死んだ。他人を信じてすがれば相手を殺す。信頼こそ迷惑な殺人行為だ、と言わんばかりだ。

この話は一見、被害者と殺人鬼の構図だが、実は人を信じる者と信じない者の絶望的な追い駆けっこなのだ。
だからこそ信用できない間抜けな警察、他人に無関心な街の人々、浅い親切で却って殺人鬼に味方する自警団など、ギョンミの信頼をことごとく裏切り絶望に追い込む連中が沢山でるのだ。
最たるものが被害者の兄だろう。
屈強なマッチョゆえに、ギョンミの信頼は最高潮に達するのに・・・。
この時の絶望感!

夜の住宅街を駆けるギョンミと殺人鬼。
ゴーストタウンかと疑うほど誰も居ない。静かな住宅街でも、人が居なさ過ぎる。これは二人の孤独を表しているのか。
正反対の2人が、共通しているのは孤独である。
通行人さえ居ればギョンミは助かる、と観客に思わせてもいる。
そう観客に思わせて、街に逃げ込むと沢山人が居ても、聾唖でコミュニケーション下手な彼女では意志疎通が不可能。
ゴーストタウンより大勢いる方が、より孤独で絶望が深まるのだ。

殺人鬼がイラつくのは中々彼女を殺せないからではなく、中々彼女が他人を信じる事を止めないからだろう。
そんなギョンミも、とうとう当の殺人鬼に命乞いをするまでに追い込まれてしまう。
誰も助けてくれず、誰も彼女の信頼に答えない。
だから頼んでも仕方のない殺人鬼当人に、不自由な口調で頼むのだ。
誰も信用できなくて、一番信用できない相手にすがる。
最悪の絶望だろう。しかも周囲に大勢いるのに。
一声掛ければすぐに助かるハズの群衆の中で、殺人鬼以外に頼れる者の居ない倒錯。衝撃である。別に脚本が破綻してる訳ではない、有り得ない事を計算して書いているのだ。

そしてサイコパスから逃れるには、サイコパスと同じ発想でなければならないということが示される。
人々を信じてきたギョンミ。
聾唖でも社会から排除されないよう、献身的に頑張ってきたギョンミ。
人々の信頼を得るのではなく、排除されることで逃れる一手。
その意味では、ギョンミの敗北ではないのか。
人々を信頼したのではなく、異物を排除する他人の冷酷さを利用したのだ。それは殺人鬼と同じ発想である。
勝ったのはギョンミか殺人鬼か?
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