KnightsofOdessa

わたしは最悪。のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

わたしは最悪。(2021年製作の映画)
3.0
[ノルウェー、正論と実生活の線引はどこ?] 60点

2021年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。『リプライズ』『オスロ、8月31日』に連なる"オスロ三部作"の最終章。主演はアンデシュ・ダニエルセン・リーではなく、レナーテ・ラインスヴェが務めている(一応前作にも登場しているらしいが記憶になし→終盤のプールに出てきたらしい)。本作品は序章と終章を含めた14の章で分けられた女子医大生ユリェの年代記である。優秀だった彼女は一番難しいからという理由で薬学部に通っているが、後に心理学に転向し、次いで写真家になる決意を固める。写真家として活動していたときに出会った漫画家の男アクセルに惹かれたユリェは、そのまま付き合い初めて同棲する。しかし、子供が欲しいアクセルと今は欲しくないユリェは対立し、小さなすれ違いが積み重なっていく。

本作品は人生の中で遭遇する様々な場面や感情に対して、その境界がどこにあるか、どこで線引するかを追究する物語である。序盤で印象的なのはアクセルと同棲しながら、既婚者のアイヴィンドと出会った際に、どこまでなら不倫になるのかを実験する場面だ。互いの汗を嗅ぐのは?人に言ったことない秘密を言い合うのは?放尿の瞬間を見るのは?それに連なって、恋人と共に過ごす人生のどこまでが自分の人生なのかという線引も重要な問題として登場する。既に売れっ子漫画家としての地位を確立していた40代のアクセルと、"あなたは誰?仕事は何?"という質問を毛嫌いしていた絶賛自分探し中のユリェとの間には、見えない主導権争いが繰り広げられ、その境界は曖昧になっていく。

"世界で一番悪い人間"という題名は、スピリチュアルに目覚めて世界規模の問題に思いを巡らす妻の隣で、それを守れずに生きることになったアイヴィンドの言葉から取られている。それは"あなたを愛しているが同時に愛してない"と言って復縁も匂わせながら別れるユリェにも、ミソジニックなキャラを漫画に登場させ続けるアクセルにも、色々と御託を並べて娘に会いたがらないユリェの父親にも当てはまる。本作品は"正論は確かに正しいが、それだけでは生きていけない"という想いから、正論と実生活の線引/境界を探す物語なのである。だからこそ、"こうでなくてはいけない"という既成概念を映画側も破壊しており、例えばユリェがアイヴィンドに会いに行くシーンでは、二人以外の時間が止まったかのように描かれていたり、ナレーションが会話を先取りしてしまって、ナレーションよりも後に同じ発言を登場人物がしたりしている。残念ながら結構マイルドなので、もっと破壊してくれることを期待していたが、物語をクリシェから逸脱させる分、映像は冒険しなかったのだろうと勝手に納得している(まあ『オスロ、8月31日』も微妙な冒険してたし、大きな冒険はしない人なのかも)。

正直な話をすると、予告編が一番面白かった。毎回過度な期待をしないように予告編は観ないようにしているんだが(復習や余韻に浸りたいときには観るけど)、今回は鑑賞前に観て見事に失敗した。何回目だよ。
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