貧乏な下級役人がひょんな経緯で手に入れた高級な外套に翻弄される姿を描く、ゴーゴリの名作小説の映画化。原作の舞台はロシアだけど、貧乏人が大事な財産を奪われるというプロット(「自転車泥棒」「どっこい生きてる」など)が、イタリアのネオレアリスモにぴったりの題材だった。主人公のあまりの無能っぷりに観ててイライラさせられたところから、終盤でまさかのホラーになるのがびっくり。アルベルト・ラトゥアーダ監督の作品では、フェリーニと共同監督した「寄席の脚光」を観てた。主演のレナート・ラシェルを調べたら、音楽一家の生まれでミュージシャンとして自作アルバムを出してたんだね。
役所で書記として働くカルミネは貧乏暮らしをしてて、着ている外套はボロボロで新調するお金はなく、役所での仕事ぶりもミスばかりで上司から叱責を食らってばかりいる。このカルミネがあまりに無能で、貧乏暮らしが自業自得に見えてしまって感情移入しづらかった。議事録を取るシーンなど、薬でもやってるんじゃないかという支離滅裂ぶりだった。やがてカルミネの耳に役所の不正会計の話が偶然入り、それを知った上司が口止め料として多額のボーナスを彼に与え、これ幸いと高級な外套を新調する。ここで登場する仕立屋がカルミネと旧知の間柄らしく、天涯孤独に見えるカルミネに唯一寄り添う存在なのが、余計にカルミネの孤独を際立たせる。
カルミネが立派な外套を着ているだけで周囲の人物の接し方がガラリと変わってしまうのが世間の薄情を示す。カルミネがようやく得たほんの仮初めの心の安らぎから、追いはぎに外套を奪われた時の絶望への落差が胸に迫る。ここからの彼の狂気がすさまじくて、前半でのイライラを払拭するほどの迫力だった。横暴だった町長の周囲で超常現象が起こり始め、彼が壁に映った自分の影におびえる演出が秀逸で、ついに目の前に現れたカルミネの霊との対話で自己の過ちを認めるあたりはクリスマス・キャロル的。カルミネがそれでも飽き足らず、街行く人々の外套を奪おうとする幕切れが滑稽かつ哀しい(ちょっと「ジョーカー」みたいだった)。