Tully

アリスとテレスのまぼろし工場のTullyのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

物語の舞台は、鉄鋼関係の工場が街のど真ん中にある街 「見伏町」 。そこで暮らす高校生の 「菊入正宗」 は、女子っぽい印象があってそれを理由にクラスメイトから揶揄われることもあった。父 「昭宗」 は工場勤務だったが、ある爆発を機に行方不明になっている。正宗たちはその爆発を目の当たりにしていたが、その日から起こる異変に関しては無頓着なまま日々を過ごしていた。正宗には気になるクラスメイトの 「佐上睦実」 がいたが、彼女は正宗のことを嫌っていた。また、彼女の父 「衛」 も工場勤務だったが、変わり者だと揶揄されていた。映画の冒頭にて、工場が爆発する様子が描かれ、まるで狼のような雲が立ち込め、空にひび割れができているように見えていた。雲がヒビにふれると修復されるようだったが、その理由などは分からない。そして街は 「変わらないこと」 を確認するかのように、日々を過ごしていくことになったのである。と、設定が非常に分かりにくい作品で、異世界に行ったというよりは、死後の世界もしくは 「死の直前で停止した世界」 のように思えてくる。変化するものから退場するという感じになっていて、消えることが良いことなのかはわからない感じになっていた。映画のタイトルは 「アリストテレス」 を分割したもので、劇中でも 「エネルゲイア」 の概念に少しだけ触れている。「エネルゲイア」 とは、「アリストテレス」 が提唱した哲学用語で、「可能的なものが発展する以前の段階であるデュナミスが、可能性を実現させた段階をエネルゲイア」 と定義しているものである。「ディナミス」 とは能力や可能態、潜勢態のことで、ざっくりいうと 「現実的に可能性のあるものが変化すること」 「あるべき能力があるべき状態に変化すること」 を意味する。この概念を 「可能と不可能」 に分けていて、それを 「アリス」 と 「テレス」 というふうに分岐させている。これは各キャラクターの中にある 「可能性と不可能性」 というものの不一致を意味していて、こちら側にいる 「不可能性」 が 「可能性」 に気づいて、向こう側の世界と融合することで、本来の姿に戻ることを意味している。さらに噛み砕くと、死を意識して、死へと向かう、もしくは死を認識して、生へと向かうという感じになっている。分割された世界において、本来の姿に戻るためにどうするのか、というのがテーマになっていて、それは自己認知と状況認知によって、運命を受け入れるということにつながるといいうことではないだろうか。映画は、意味がわからない展開を迎えているが、ストーリーテリングとしては 「向こう側から来た少女、五実を元の世界に戻す」 というものが主軸になっている五実がこちらにいる以上、こちらの世界は存在し続けられると考えているのだが、その期限には限りがある。それは最大値として、五実の寿命ということになるのだが、こちらの世界にいることで、彼女の寿命が縮まってしまうという弊害もあって、その期限は誰にもわからないものだったりする。だが、こちらの世界にいる人々が少しずつ消えていくことで隙間は閉じてしまうので、閉じる前に元の世界に戻さないと、その瞬間に全てが終わるとも解釈できてしまう。いずれにせよ、目の前にある物語に対して、いろんな人があれこれ考察する系の映画になっていて、どれが正解かは監督の胸の中にしかないと思う。それでも、間違った見解を恐れることなく思考することが大切だと思うので、その思考こそがエネルゲイアを生み出す原動力でもあると思う。
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