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モガディシュ 脱出までの14日間のsumikaのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

この内戦、それなりにいい大人になってたのにほぼ記憶になかった。

「同志」なのに同志じゃない。
南北の人達が一緒に食事をしたり過ごすシーン、少しずつ打ち解けてくる様子。見ていてとても辛かった。
ソマリアの内戦もひとつの国での争い。朝鮮の南北もひとつの国のハズなのに。。。

ちょっとコミカルなシーンを入れつつ、韓国映画らしいちょっとしたアクションシーンがあったり、話が重くなり過ぎないようになっていたと思う。
「人道的に」って難しいね。

じわじわと泣けました。
どこまでが実話なんだろう。


追記
以下は見つけた向こうの新聞記事

「無駄死はしない」と手を取り合った南北
姜信盛大使が明かしたソマリア脱出記
銃撃をくぐり抜け一緒に安全地帯に
ケニアでの別れ、「統一後また隣人になろう」

 血は水より濃かった。
 アフリカの奥地ソマリアの首都モガディシュで内戦に巻き込まれて脱出路が閉ざされた中で、南北双方の大使と大使館職員が繰り広げた合同脱出作戦は、体制と理念を超越した純粋な同胞愛から実行された。
 モガディシュは、昨年末以降続いた政府軍と反政府軍の市街戦で、銃弾が降り注ぎ、政府機関や通信施設はほぼ破壊され、住宅街や外国公館などには銃を持った強盗が押し入り、婦女子の恐喝、金品の強奪などが日常的に起こる無政府状態でした。
 17日に帰国したソマリア駐在の姜信盛大使(54)は、まだ半月間の悪夢が消えないかのように緊張した面持ちで当時の危機状況を振り返った。
 ソマリアの内戦が激化したのは昨年の12月30日。
米国、ソ連、中国など主要国の公館が撤収したことを受け、韓国大使館も撤収することを決め、7日から李昌雨イチャンウ参事官をモガディシュ国際空港に待機させ、航空便での非常脱出を試みたがうまくいかなかった。
李参事官とともに脱出路を探すため、9日朝早く空港に行った姜大使は、待合室で金龍洙キムリョンス大使(55)ら北朝鮮公館員とその家族14人を見つけた。「全滅するかも知れない危機の中では南も北もないでしょう。同じ民族同士で力を合わせて脱出作戦をやりましょう。』
 姜大使は、韓国公館の置かれている状況も難しいが、空港で孤立している北朝鮮側を何とかしなければならないと考えた。
 北朝鮮の金大使はやや当惑した表情を浮かべ、「何か良い方法でもありますか」と肯定的な態度を見せた。
 この時、空港関係者からケニアのナイロビの韓国大使館が手配した2機のイタリア軍用機がまもなく到着するので、搭乗者名簿を知らせてほしいという連絡があった。姜大使の指示によって、李参事官は、韓国側搭乗者6人(在米韓国人1人は残留希望)と北朝鮮大使館側14人、そしてあとから合流したソマリア駐在ルーマニア代理大使など21人のリストを空港側に通報した。
 軍用機は予定通り飛んできた。ところが、管制塔との交信ミスで、違う軍事基地に着陸してしまい、民間空港で待機中だった公館職員たちはこの救助機を逃してしまった。救助機は他の難民を乗せて出発してしまったのだ。
 韓国と北朝鮮の大使は、「何か別の方法を探そう」と励まし合って、銃撃戦の続く市内をくぐり抜けて、比較的安全な韓国公館に戻り夜を明かした。韓国公館の通信が途絶えた状態で、北朝鮮の金大使は夜が明けると、北朝鮮と国交があったエジプト大使館を訪れ、カイロにある北朝鮮大使館に安否を知らせる電報の打電を依頼し、在カイロ韓国総領事館にも韓国公館員たちの無事を知らせる電文を送ってくれるよう依頼した。この電文は、韓国政府側に到着していたことが後日確認された。
 一方、姜大使も同日朝、現地の警備警察官2人を同行させ、6キロほど離れたイタリア大使館を訪れ、救助機を再び要請した。
 イタリア大使のマリオシカ氏(45)は、12日の午後に軍用機が来る予定だが、事情により韓国側の公館員7-8人程度しか乗せないと返答した。北朝鮮とは外交関係がないことを意識したようだった。
 姜大使は、「互いに体制と理念は異なるが、同じ民族なのに、北の大使館員らを置いて韓国側だけが脱出することはできないとマリオシカ大使を4時間説得し、南北両方の搭乗の確約とともに、安全な場所がない南北公館の職員が、飛行機が飛来するまでイタリア大使館に避難できるよう約束を取り付けた。
 姜大使は、直ちにこのことを金大使に通報したが、金大使は最初はイタリアが未修好国であることを意識したためか難色を示した。しかし、武装した強盗集団から館員家族を保護する手立てがないという状況判断から、最終的に韓国側の提案を受け入れた。
 南北双方は、10日午後3時55分ごろ、太極旗を掲げた6台の乗用車に分乗して、イタリア大使館に向かった。
 車両がイタリア政府軍が配備された大使館の裏門に接近したところで、70-80メートル前方から集中放火が浴びせかけられた。前方を走っていた数台は、急ハンドルを切って銃撃を免れたが、後方の車を運転していた北朝鮮公館の通信官の韓相烈ハンサンヨル氏(36)が左胸に銃弾を受けた。
 韓氏は、銃で撃たれながらも胸を押さえながら約1分間超人的な意志と使命感で運転を続け、300メートル走らせて安全地帯の大使館裏門にすべり込んだ。それ以外の犠牲者は出なかった。
 韓国公館職員たちは応急処置をしたが、韓氏は銃撃から約20分後に死亡、同日午後10時、双方の公館職員たちによってイタリア大使館の構内に埋葬された。
 双方の公館員と家族、ルーマニア代理大使など22人は、10日と11日夜をイタリア大使公館の応接室などで一緒に過ごした。
 韓国側は姜大使、李参事官、朴ヨンウォン雇用員夫婦、在米韓国人の李ギュウ氏(45)夫婦と息子の7人、北朝鮮側は金大使夫婦と孫(5)、参事官夫婦、一等書記官夫婦と息子(4)、韓相烈通信官の夫人と息子(7)、もう1人の通信官夫婦と娘(3)の計13人。
 双方の公館職員と家族は、この期間には体制や理念の問題など互いの自尊心と感情に触れる言動を慎み、韓国側はコチュジャンを、北朝鮮側はチョンガクキムチなど持ち寄って分け合うなど、親しい隣人として過ごした。
 12日午後、ついに国際赤十字社のマークをつけたイタリア軍用機2機が到着、南北双方の19人とルーマニア代理大使など20人はイタリア大使館を出発、厳重な警戒の中を空港に向かい、午後5時頃ソマリア難民300人余りとともにイタリア軍用機に搭乗、2時間30分後の午後7時30分にケニアの海辺都市モンバサに無事到着した。
 姜大使は、北朝鮮側の女性や子供たちが韓氏の死を目の当たりにして恐怖感に怯えていることを勘案し、空港に行くまでの間、彼らをイタリア大使が乗った防弾車に乗せた。
 艱難辛苦の末に戦場を脱出した両国の公館職員と家族は、モンバサ空港で互いに抱き合い、「この間本当にありがとう」「統一できたら隣人としてともに暮らそう」などと別れの挨拶を交わしながら、この間の熱い同胞愛に思いを馳せた。
<金局厚記者>
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