このレビューはネタバレを含みます
誰もが孤独では生きていけない。
心の拠る辺となる人を求めて、縋ってしまう。
文、更紗、亮
誰か一人でも、孤独の中で生きることができる強さを持っていたなら
物語の結末は変わっていたのではないだろうか。
亮はきっと『かわいそうだから』『帰るところがないから』複雑な背景を抱える更紗を選んだのではないと思う。
きっとコンプレックスとプライドから、傷つき疲れて弱っている“守るべき相手”にしか、心を許すことができなかった。
そしてそれでも、壊れるほど強くその手を握り続けることでしか愛する人に縋ることができなかった。
亮が暴力で更紗を自分に縛りつけようとする姿が、『狭い部屋の中で勢いよく飛んで怪我をしてしまわないように』と飼っている鳥の風切羽を切る行為に重なって見えた。更紗や他人からどう映ったとしても、亮の行動の根幹には愛があったと思ってしまう。
近づくことで傷つけてしまう。
分かっていても、自分が唯一安心できる相手に縋ってしまったのは更紗も同じ。
大人と子供、ベランダの境壁、大人の男になる前に成長が止まった文の身体。
更紗と文の間にはいつも一線が引かれていて、どんなに近づいても更紗は決して文から傷つけられることがない。相手のことは傷つけてしまうけれど。
きっと恨まれている。
そう思いながらも近づいてしまう。
これからも傷つけ続ける。
わかっていても一緒にいることを選んでしまう。
文にとって、出会ったばかりの更紗は
自分と同じ存在であり、
求めていた母性だったのだと思う。
大人ではない。
でも、何も知らない子供でもない。
その先を知ることができない文と、
従兄弟から『大人の行為』を知ってしまった更紗。
文の母親は文の正面には座らず、目も合わせず、食事を作っても一緒に食べることはない。文が求めていた母性愛を、更紗は簡単に埋めてしまった。
だから更紗には知ってほしかった。
死んでも人に知られたくない秘密を、更紗にだけは。
文にとっても更紗はきっと、
ただ唯一の心の拠り辺。
雨と湖、文と更紗の始まりと終わり。
文の母親はまめに庭の植物に水やりをしていたけれど、外れの木は抜いてしまい二度と水をやることはない。
悪いことが起きる前に雨のシーンを入れる映画は多いけれど、この映画の中で、水は2人にとっての愛の象徴。
逮捕される時、
踏み出した文の濡れた足元がとても印象的だった。