Kuuta

最後の決闘裁判のKuutaのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
4.0
I will not be silent.

見逃していた今年の話題作を回収中。面白かった。なんで劇場いかなかったのかと後悔。

▽リドリー・スコットの作風整理
決闘に取り憑かれた男を巡る「デュエリスト/決闘者」でキャリアをスタートさせたリドリー・スコット。多作でジャンルもバラバラなようでいて、常に彼の映画には「システム」と「それを駆動する暴力」がある。

「グラディエーター」や「エクソダス」といった歴史大作を彼が手掛けるのは、巨大なシステムに翻弄された人間を描くためであり、「ブラックホークダウン」も時代は違えど同じ系譜と言える。

(「マッチスティックメン」や「アメリカンギャングスター」といった騙し騙され系は「システムの支配者は誰か」という視点で読み解くことができる)

「エイリアン」はやはり超重要で、2作目にして早くもリドリー・スコットは、こうした「システムと暴力」に立ち向かう主人公として、「理性的な女性」を登場させた(彼女を狙うエイリアンが男根を模しているのは言うまでも無い)。

「テルマ&ルイーズ」は強姦の恐怖を味わいながらも荒野を走る女が主人公だったし、「ブレードランナー」のレイチェルだって与えられた運命からの逃避行を図る。「G.Iジェーン」ではデミ・ムーアを海兵隊に放り込み、「悪の法則」では暴力に屈する男たちを尻目に、自由を謳歌するキャメロン・ディアスが大暴れする。

▽羅生門のアップデート
こうした彼の作風に照らしてまとめると、今作はデュエリストみたいな「中世の絶望的なシステムと暴力」の話に、「理性的な妻」の視点を組み合わせている。

藪の中(羅生門)形式だとは事前に知っていたが、事実がコロコロ変わる訳では無い点が非常に良かった。ちょっとした受けの表情や、些細な日常のやり取りがその人にとっては深い意味を持つ。一つの「現実」を巡る認識のズレが、じわじわと体感出来る作りになっている。ここに関しては黒澤明の羅生門よりも、明確に優れていると思った。

第1章と2章では、それぞれの男の言い分が語られ、それだけでも十分身勝手に感じられるが、第3部では男(当時の社会)が「見ていなかった」現実が、痛いほど突きつけられる。例えば、男同士が一旦和解する場面、起きている事は同じなのに、3人にとってのキスの意味の違いが表情だけで描かれる。

もちろんMetoo的な告発の映画ではあるが、人の不完全さを滑稽に描きつつ、全体を支配するシステムは誰も打破できない絶望を体験させる悲喜劇のようにも見える。そこが凄く好きだった。実質プロメテウス。

▽決闘に歓喜する人
3人分の物語の重みがラストの決闘に乗っかっており、この場面の緊迫感は素晴らしいものになっている。映像職人としての力量もまだまだ健在で、甲冑アクションの迫力には普通に手に汗握った。

後世に「歴史」として残るのは1人の男の歓喜と栄光だけだ。そこに、抑圧された女性の呼吸音を聞き取る者はいない。彼女が苦々しげに目線を送る相手は、決闘を見物に来た「システム」である(ついさっきまでアクションに興奮していた私を含む)。

あの観客の掌返しの醜悪さは、ヴァーホーベンの傑作「ブラックブック」の終盤を連想せずにはいられない。ラストでノートルダム大聖堂が映るのも、これからカトリックの真の支配が始まるという、システム側の勝利宣言にしか見えなかった。

勿体無いと感じたのが、アダムドライバーが見た夢とか、夫に実際には抱きしめられていなかったとか、事実と反するミスリードが一部で使われている点だ。上記した和解のキスの場面のように、一つの現実を色んな視点で見るという作りを徹底して欲しかった。81点。
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