だーくろ

最後の決闘裁判のだーくろのネタバレレビュー・内容・結末

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

・総括
これはリドリースコットなりのポリコレへの意思表明と受け取った。歴史物語であるゆえ、時代背景的に白人のみ。男尊女卑が当たり前の世界。逆説的だからこそ、現代と対照的で非情な現実が際立つというものだ。

・キャスト
主演のマット・デイモン。
同性愛に対しての発言で非難を浴びたことが皮肉にも「旧時代の男」としてのアクセントか。グラディエーターにも出ていたかのような(完全にリドリースコットのせい)戦闘シーンの立ち振る舞いは、流石に一世を風靡した過去の持ち主。

アダムドライバーは個人的にどうしてもカイロ・レン(StarWars)の印象が強いのだが、どの映画でもその儚く佇んだ風貌の如く、悲壮感を放つ悪役としては右に出る者がいない水準であろう。永遠に続くと思い込んでいた既得権益の椅子が、甘い考えと少しの見栄によって巻き込まれて全てを喪失してしまう。刻一刻と半ば必然的に巻き込まれていく心理模様を表情で示せる技術は圧巻である。

・ストーリー
3人の視点のうち、正確に=都合よく記憶を書きかえずに話しているのはジョディ・カマー演じるマルグリットだけ。つまり男など自分の中での最善は尽くしているつもりだけれども、現実では事実を残酷に捻じ曲げて記憶しているという皮肉を込めた展開である。

マット・デイモンは猪突猛進、チームプレイは苦手だが真っ直ぐな心で結果を出すべく全力を尽くす。不器用だが家や家族、国家に忠実に動く過程で理不尽が生じたという話。これで彼が憤る理由は綺麗に説明された。

アダムドライバーは、そんなマット・デイモンが浮いていて、世渡り上手くやっていく。彼は見えないところでマット・デイモンを庇っているが、戦果に現れない点でマット・デイモンからは不満を買っている。その妻が教養があり、本人より話が通じる女性であること、加えてマット・デイモンから何度も訴訟された上、位が下であることを強調されたことで我慢の限界という男の(小さな)プライドもあったのだろう。女性が男性の帰属下にある暗黙の文化の下ではより一層、秘密裏に支配下に置くことで矜持を保ちたかったのではないだろうか。

ジョディ・カマーは最初から最後まで、裁判が終わっても被害者である。夫も強姦相手も世間も、彼女を見てなんかいない。最後のシーンで登場した赤子こそが(父が誰であったとしても)全てであり、自分を自分として認識してくれる世界唯一の存在だと語った。最後のメッセージ、夫が死んでから数十年、誰とも再婚しなかったというメッセージは彼女が誰のものでもない(当時の世間とは異なり)自分自身の人生を謳歌したことを意味するのであろう。

・その他、総評
リドリースコットらしい鬼気迫る戦闘シーンは流石の撮影技術。その上で、現代に蔓延る表層的なポリコレを一刀両断するような逆説的ストーリーラインには唸らざるを得ない。勧善懲悪の要素もあり、全体を通じて曇りが多く暗いシーンになったことで淡々とした作りであったことも、彼の集大成といえるのではないか。逆説的テーマ(と嫌な悪役ことアダムドライバー)からなる見事な作りにただただ舌を巻くばかりである。