このレビューはネタバレを含みます
「白日夢 はくじつむ」
アイスランドを舞台に、ある羊農家夫婦にもたらされた白日夢のようなお話。白日夢って共通概念だろうか?
聖なる夜にもたらされたのは、決して幸せではなかった。何かに対して優位にある場合、得てしてその立場を忘れてしまう。
そこに因果はなかったろうに…突然現れた超常的な何かにより、独りよがりな幸せを求めた廉で?不幸の果報に甘んずることになる…
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「羊か山羊か〜妄想の始まり」
そんなことよりも無知な私は冒頭で悩んでしまった。
羊にツノはあるんだっけ?
配信で良かった。一時停止して、もやもやを解消できて、さらには妄想を膨らましてから戻ってこれたから。
ここからは私のLAMBw
まず羊には元々ツノがあった。飼育の都合で品種改良した結果、ツノなしの種もいるそうだ。
さて、目をひいた渦巻き状のツノのことを「アモン角」と呼ぶ。あー悪魔のことかと思い調べ進めると、古代エジプトの最高神である太陽神アモンに由来するとある。悪魔ですらなかった…
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「神か悪魔か〜妄想は踊る」
このアモン神は元々、テーベという地方の神話体系で豊穣を司っており、その象徴は牡羊。やっと繋がった!
そこから同じエジプトで別ルーツの神話体系における最高神、太陽神ラーと一体化を果たすw仔細は省くがこれらは紀元前2000年より昔のお話…由緒あり。
更にアモンはギリシア、ローマの最高神ゼウスとも習合し、アモンの角の生えたゼウスの図像として表された。神は寛容だ…
では悪魔のアモンはと言うと…一説には鳥の頭部という外見に共通する特徴(エジプト神アモンの象徴の一つがガチョウ)からアモンが悪魔として解釈されたものと推論されている。邪教の神は悪魔ということ?神は俗っぽい…
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しかし悪魔としてのアモンの特徴がこれまた悪魔らしくなくて興味深い。多くの詩を披露した、召喚者に過去・未来を教えた、人同士の不和・和解もさせることができたと言う。
夫婦の会話・行動から、弟の存在・言動にいたるまで、本作のストーリーに符合する点が多いのは偶然ながら面白いw
すると本作のキャラクターたちは神性を持つ何かに近づいてしまったため、戯れに巻き込まれたのか?はたまたその顕現か!?なーんてw
注)北欧の伝承的なモチーフに羊はないと監督自身が名言している。
以上はあくまで個人の楽しみが暴走した単なる連想ゲームに過ぎない。妄想を重ねた先はいつだって行き止まり…ひと通り考え尽くせた満足感はあるがw
もしこんな駄文をここまで読んでしまった人がいたら申し訳ない…妄想が捗った隅で得た無関係だが確かな知識を一つ、有名な古代生物アンモナイトは、アモンの巻いた角の形状に由来するそうだ。
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「ヘンデルのサラバンド」
主人公マリアはラスト、諦めたように、何かを乞うように、天を仰ぐ。終幕。そしてヘンデルのサラバンドが流れる。
この曲には一つの意味を込めることができる。それは懺悔の詩を載せた讃美歌として歌われているということだ。
私がこの曲を知ったのは昔々w愛・地球博が開催していた頃のこと。アウシュビッツを扱ったドキュメンタリーのテーマに使われていた。更に遡れば風の谷のナウシカでも…
人の罪咎が語られる側で、奏でられる重々しいしらべ、これは偶然ではないだろう。
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※開口について思うところはあるけれど、また別作品のためにあたためておこう…
※KAFLIはアイスランド語でチャプター。
※章立てされる映画は、メッセージ性が強いものが多い気がする…説w
※気付けば羊の生態まで調べていた私w羊は常に群れる性質があることを知った。(Need not to know by迷探偵)そんなこと知らずともシーンの意味は一目瞭然なのだが、子を思う母羊の行動の特異性が図らずもより一層味わえた気がするw
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追記)脚本の方が広く民話に通じており、その手の物語の始まりは決まってクリスマスからなんだそうwこういう作法は好み。
追記)100歩譲って、もし最後のあれに何らかモチーフがあるとして!w羊と山羊について学びを得た私には分かる。あれは、生物的特徴が羊顔なのだ。つまりあれは、雄の羊人間だw
これは妄想と言葉を重ねてきた本レビューでは、「妄想」という一点のみは間に受けてほしい…
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スコア内訳
ルック0.5
シナリオ1.0(アダの見た目に想像がついても次に何が起こるかワクワクできたので)
役者0.5
深度0.5