クリントイーストウッド監督、『父親たちの星条旗』と対の硫黄島の戦いを日本軍側から描く『硫黄島からの手紙』。
この2作品を通して、戦争とは何なのか、小さな島で戦い合う双方の軍人の正義とは何か、背負ってるものは何か、この戦い、戦争で何を争い、何が残ったのか、深く考えさせられる。
お互いが野蛮だ、異常な奴らだ、腰抜けだ、と教えられ、どちらも祖国のため、己の正義のため、家族のために命をかける。
勝つためには相手の命を奪わざるを得ず、逃げることは恥である。
そう教えられ、硫黄島に放り込まれ、多勢に無勢の状況下で、一寸先は死の中で、彼らは何を見出していたのか。
この2作品は派手な戦争アクションというよりイーストウッドらしい実話に基づく、人間ドラマに焦点を当ててる。
それだけに、太平洋戦争という大きな枠で捉えれば小さな島での1つの戦いに過ぎないこの硫黄島での戦いが全ての最前線の現場で起きてる人の心の葛藤や覚悟のような、何とも言いがたい重厚で、悲哀な雰囲気を醸し出す。
渡辺謙、栗林中将。実在の人物。
1944年5月に硫黄島に着任し、以降1945年3月にこの地で果てるまでこの地で全うした人物。
無駄な自決をさせず、最後まで相手と戦うことに命を賭けた。
この自決、玉砕。
やっぱり、なかなか理解が難しい。
己の使命を全うできず、守るべきものが守れない、結果的に命令に背くことになってしまったことに対して、自ら潔く散って詫びる自決。
「武士の本懐」。
数や軍備に限りがあり、そもそも兵力の点で劣ることを危惧し、この無闇な自決を辞めさせる。
その分、命ある限り、己の正義と意志で戦い抜け、と。
これはこれで理には適ってる気はするが、そんな中将の意を汲む者もいれば、たとえ上官であってもそれは武士の恥だ、生き恥だ、と背いて自ら命を絶つ者も。
戦争とは、日の丸とは、忠義とは、正義とは。
水も食料もなく、薄暗い洞窟状の要塞の中で、ジリジリと相手が近づきつつあるけど、かと言って逃げ場もない極限状態でただ生きることすら難しい中で、大勢の人がこれらをどう考えて行動していたのか。
とても計り知れない。
ニノのこの“自然体”系の演技がとてもハマってて印象的。
そして、渡辺謙、伊原剛志、中村獅童、加瀬亮。
日本の名だたる俳優たちが様々な思想と意志と正義を持った「色の違う日本兵」を演じてて、今まで世界が描く“恐ろしいジャパニーズたち”ではない心が通っている日本人の魂があった。