ノットステア

ある男のノットステアのレビュー・感想・評価

ある男(2022年製作の映画)
4.0
○感想
観る前は少し眠気もあって、今日も睡魔と格闘しながらか、、、と覚悟していたが、始まると眠気はゼロ。楽しめた。振り返ってみると当然ながら、小説ほど心情や葛藤はない。小説よりは軽い感じだった。
安藤サクラの演技、良かったなぁ。魅力的な女性だった。また、リエとダイスケが結婚し、朝食を食べているところとか、本当に幸せそうで、仲良くていい家族だった。

「人の人生を生きる」とか「分人主義」がテーマの映画ではなかった。「誰だったのか」という謎の解決が目的の映画。在日三世という設定もちょっと使っただけ。
宣伝文句が、「『愛』と『過去』をめぐる珠玉の感動ヒューマンミステリー」。

チラシには「『ある男』の正体を追い"真実"に近づくにつれて、いつしか城戸の心に別人として生きた男への複雑な思いが生まれていく――。」とある。これは小説の内容であって、映画では汲み取れなかったなぁ。。。

ヘタに平野啓一郎の「分人主義」を取り入れようとしたら、うまくいかなかったと思う。
原作を読んでたから分かったようなシーンもあった。例えばラストシーン。なぜバーでキドはダイスケの過去を語っているのか。これはわかりにくいなぁ。しかも「ダイスケ」と名乗るところは音声カット。。。
原作では別にラストのシーンでもなんでもないのに。。。

映画より小説のほうが良かった。けれど、映画の予告を観て、本を読むことにしたので映画化には感謝。

もう映画の感想とは関係ないけど。
観客は老夫婦のペアが5組くらい。他男一人、高校生カップル一ペア、大学生くらいの女性二人組。
それくらいだったかな。
『ある男』を観るデート。なんか渋くて良いなぁ。
斜め後ろの老夫婦。お婆さんがお爺さんに質問しまくり。ここはどういう意味?お爺さんも小声で答える。
わかるわ。僕も映画を観るということに慣れるまで、家で映画を観ながら父親に話しかけまくった。その度に言われた。よく観ててごらん、と。まぁ、静かに観てみなよ、と。仲のいい老夫婦じゃない。仲良く映画を観に行って、予告では、「これ面白そうね」なんて言って。ちょっと憧れました。映画が始まるまでは…。


以下、感想にはネタバレも。

























妻夫木聡の衣装はスマートでカッコよかった。面白みはないけど、シンプルでキレイめな服装。衣装についてちょっと感想を書き始めたら思い出したのが柄本明のセリフ↓。
先生は在日っぽくない在日ですね。詐欺師の私らと同じですわ。
在日っぽい服装が何なのかは分からないけど、着る人を選ばないようなキレイな服装。高そうな服装。

ラストの方。安藤サクラのセリフ↓は良いなと感じた。
すべて分かったからこそだと思うが、知らなくても良かった。この町で出会ったこと、ハナちゃんが生まれたこと、思い出はすべて事実。



○原作にあって映画版にないシーン。もしくは違うところ
原作とはところどころ違っていて、オリジナル部分もあったけど、大筋は一緒だった。カットされているシーンは当然多い。

・ダイスケが木を切っている。その現場に子どもがついていくところ。その日、事故で亡くなってしまう。これは映画オリジナル。

・キドが息子に怒りを爆発させるシーン。怒る理由。映画では玩具を投げて遊ぶ息子がうるさくて少し注意するもやめなかった。それに加え、息子がキドに向かって玩具を投げ、ワインの入ったグラスに当たり、大切な資料が濡れてしまったから怒鳴った。怒鳴り声で妻がリビングに戻り、息子を慰める。そもそも原作では、妻に叱られて息子が泣くことが多かった。キドが怒ったのは映画と同じように一回。でも怒る理由は違う。

・キドと妻のギクシャク。
映画では妻のスマホの通知を見て浮気してるんだろうなぁって描写のみ。あんまり必要なかったかなぁ、と思う。原作もこの場面は必要だったのか?という気もしたけど。

・ダイスケ(原マコト)が子どもの頃の話。映画では父親が人を殺して血まみれになっているところに出くわす。友達の遺体も観てしまっている。

・キドとミスズの関係

・カフェ元々のダイスケ、現ソネザキと会うシーン。映画では元恋人が対面。キドはソネザキとは話をすることはない。

・戸籍の問題や在日の問題。



○パンフレット ライターの瀧井朝世さんの文章「分人主義と愛」がわかりやすかった。以下引用。

死後、名前も経歴も偽りだったと判明した「X」。彼が別の人生を選んだ理由は何か。そんな「X」に城戸が引き込まれていくのはなぜか。そこには、本人の資質とは関係のない、さまざまな偏見によって受けてきた苦痛がある。
本人にはまったく責任のない偏見や差別は、現実社会にあふれている。と同時に、仮に本人に責任があったとしても、一度の過失で過剰に炎上し、人生を仮借なく奪われるケースも多々見かける。他人の一面だけを見て判断し、善人か悪人か白黒つけて、悪人と判定すれば独善的な正義感で相手を攻撃する人は少なくない。しかし、人間はそんな簡単に善人か悪人かに分けられるものだろうか。いい人だと評判だった人間が、少しでも人でなしな言動をとったら「本性を見せた」と蔑み、悪ぶっていた人間が少しでも誰かに親切にすると「本当はいい人じゃないか」と株をあげる様子もよく見られるが、それは本当にその人の真の姿なのだろうか。
――中略――
家庭や学校、職場やSNS上など場所によって人の口調や態度は変わるものだが、それは核となる「本当の自分」 がいて、場所によって仮面を付け替えているわけではない。どの場所にいる自分も「本当の自分」であり、そのたくさんの「本当の自分」=分人がその人を形成している、というのが分人主義だ。そう考えれば「本性を見せた」という表現などは、「今までとは違う分人を見せた」と言い換えられるだろうし、たとえば「自分探し」などという言葉は、「また別の分人探し」とも言うことができる。
現実世界にしろネット上の世界にしろ、いくつもの分人としての居場所を持てれば、人はどこかひとつの場所で辛い思いをしても、他の場所で気を紛らわせられるだろう。しかし「X」の場合、どこに行っても、自分の中のたった一つの分人の面で不当な目に遭い、かつ、自身も、その一分人に負い目を感じ、自分を責めてしまっていた。本名も経歴も完全に捨て去らないと人生をやり直せないくらい、彼は追い詰められていたのだ。
「人をたったひとつの側面だけで判断してはいけません」と結論づけるのは簡単だ。しかし、では、愛していた人が、自分のまったく知らない過去を持っていたら?自分が知っていたのは、その人の複数の分人のなかのたったひとつに過ぎなかったとしたら?自分は誰を愛していたのか、過去を知ってもまだ「愛している」と思えるのか。夫の死後、彼が戸籍や経歴をすべて偽っていたと知った妻の里枝が直面するのは、そんな葛藤だ。「過去なんて関係ない」と思うのか、「過去もその人を形成してきた要素だ」と思うのか。






以下、小説の感想


平野啓一郎(2021)『ある男』文春文庫
2022.10.29(土)読了


○感想
話の展開が遅い小説だった。(「遅い」とは以下の、平野啓一郎(2022)のとおりです。)
話の展開が遅い小説はあまり得意ではない。電車の中で読むことがほとんどだし、読むのが遅いため、記憶に定着しづらいというのがその理由。
しかし、この作品は面白かった。
読むきっかけは、映画の『かわっぺりむこりった』を2022.9.22に観たときの、予告。『ある男』がもうすぐ公開されるという情報でこの作品を知った。早速本を購入し、その時読んでいた本を読み終えてから読んだ。
在日朝鮮人たちへの差別、無戸籍、戸籍の交換、父親が殺人犯で死刑、など強烈なテーマの作品。
こんな難しいテーマでも小説書けますよ!という感じがなく、好感をもって読んだ。勉強にもなった。

平野啓一郎(2022)『小説の読み方』PHP文芸文庫
第1部基礎編「小説を読むための準備」
「話の展開が早い小説、遅い小説」〜「愛し方に役立てる」
・早いとされる小説…プロット前進型の述語が多い。
・遅いとされる小説…主語充填型の主語が多い。(人物の説明や風景描写)
※プロット前進型と主語充填型は明確には区別できない。二つの配置バランスが良いと読みやすくかつ人物造形に深みがある。



『ある男』文庫本の背表紙
弁護士の城戸はかつての依頼者・里枝から奇妙な相談を受ける。彼女は離婚を経験後、子供を連れ故郷に戻り「大祐」と再婚。幸せな家庭を築いていたが、ある日突然夫が事故で命を落とす。悲しみに暮れるなか、「大祐」が全くの別人だという衝撃の事実が......。愛にとって過去とは何か?人間存在の根源に触れる読売文学賞受賞作。

帯には、『本心』という作品が『マチネの終わりに』と『ある男』に続く愛と分人主義の物語であり、その最先端だと欠いてある。
分人主義とは何か。詳しくは以下の本とサイトを。

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

https://dividualism.k-hirano.com/
「分人dividual」とは、「個人individual」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。
「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。
職場や職場、家庭でそれぞれの人間関係があり、ソーシャル・メディアのアカウントを持ち、背景の異なる様々な人に触れ、国内外を移動する私たちは、今日、幾つもの「分人」を生きています。
自分自身を、更には自分と他者との関係を、「分人主義」という観点から見つめ直すことで、自分を全肯定する難しさ、全否定してしまう苦しさから解放され、複雑化する先行き不透明な社会を生きるための具体的な足場を築くことが出来ます。
「分人主義」から、「私とは何か」を考えてみましょう。



以下、小説『ある男』の印象的な場面やセリフ


ルネ・マグリットの絵。《複製禁止》なる作品。

p.73~在日三世の城戸。自分の国籍についての意識。以下の政治状況に関しても鈍感だった。
村山談話
歴史修正主義
城戸が他人から「朝鮮人」と見做されることの意味を、嫌な気分で稽えるようになったのは、東日本大震災後に、関東大震災時の朝鮮人虐殺について考えるようになってから。また、李明博(イ・ミョンバク)が竹島に上陸して、日本国内のナショナリズムが沸騰し、極右の排外主義のデモまで報じられるようになると、彼は自分が住んでいる国の中に、行きたくない場所、会いたくない人々が存在していることを認めざるを得なくなった。それは、誰でも――どんな国民でも――経験することというわけでは必ずしもないのだった。

p.132~
関東大震災時の朝鮮人虐殺
昨今の極右の排外主義
生きているこの日常、彼とその家族の基本的人権、もしそれが、一時的にも無効化するような破滅的な時間、破滅的な空間が例外として発生したなら?
「朝鮮人を殺せ!」と叫ぶ煽動家たちにとっては、「朝鮮人」が自らの生を巡って思索してきたような、繊細で複雑な問いは、何の意味も持たないだろう。
デモの声に刺激された誰かが、この日常の直中で、急に思い立ちさえすれば、「朝鮮人」を殺すことなどいつでも可能なはずだった。
自分がスパイだという疑いがかけられた時、或いは、殺すべき対象かどうかと「十五円五十銭と正しく発音してみろ!」などと、屈辱的な命令を受けた時、里枝は「いい人です」と証言してくれるだろうか?俺を殺すつもりの連中に、その言葉が何か意味を持つのだろうか?寧ろ敵意は、彼女にまで及ぶのではあるまいか?……

p.152~
ヘイトスピーチ。あそこまで行くと傷つくとか腹が立つとかではない。疲れるけど。
ネットの底の方に沈殿してた言葉が、撹拌されている。
ヘイトスピーチがなくなれば人生のストレスは多少は減るが、他にもっと考えるべき重要なことがある。裁判や家庭や特に子供のこととか。ヘイトスピーチよりもっと真面目に悩んだり、傷ついたりするに値するようなことが山ほどある。もちろん楽しいこと、嬉しいことも。
スティグマ…人の差別や悪感情や攻撃の材料にされるような特徴。それ自体は別に悪いことではなくても。例:顔のあざ、犯罪歴、生まれ育ち
これらが強調されると、その人の持ってる他の色んな面が無視されてしまう。人間は、本来は多面的なのに。
在日という出自がスティグマ化されると、何でもかんでもそれ。
在日だけでなく、弁護士だろう、日本人だろう、とアイデンティティを一つの何かに括りつけられて、そこを他人に握り締められるのは堪らない。

p.154~
美涼の人生のモットー…"三勝四敗主義"
真の悲観主義者は明るい。そもそも、良いことを全然期待してないから、ちょっと良いことがあるだけで、すごく嬉しい。
→城戸はこの言葉に虚を突かれたような感じがする。自分の中に、新しい視界が開いてゆくような一種の感銘を覚える。
本当は二勝四敗くらいでも平気だが、目標は高く、"三勝四敗主義"で。
今の世の中は、一敗でもすると、他の三勝は帳消しにされてしまうようなところがある。
みんな、この世界の評価が高すぎる。それは願望。だから、人が不幸になっても、本人が悪いって責めるし、自分の人生にも全然満足できないし。
誰か物好きな人が、僕を主人公にした小説でも書いてくれるとして、そのタイトルが、『ある在日三世の物語』だなんていうのは最悪。『ある弁護士の物語』でも嫌。

p.156~
カウンター・デモ、行きたくない。
やるなら被害者の法律相談とか。
京都朝鮮学校襲撃事件。

p.157~
劣等感からではなく、実を守るために、在日としての出自を隠したがる。

当事者とはなかなか難しい存在。
第三者が関与すべき。
弁護士という稼業が成り立つ理由。

p.160~
"三百日問題"で無国籍の子供。民法では、離婚後、三百日以内に生まれた子供は、前夫の子供と推定されてしまう。
酷いDVを受けて離婚した女性などが、別の相手とすぐに子供を儲けても出生届を出さず、無国籍のまま社会に存在している人がいて、問題になっている。日本国籍の取得の条件は揃っているにも関わらず。
そのような人が津波に飲まれた場合、その人がの誕生と死という出来事は、なかったことになっている。
写真や遺品といった物証が残っていれば、その人が存在したらしいことは推定されるが、津波の場合はそれらが根こそぎ失われて、状況が著しく困難になっていた。

p.161~
戸籍の歴史
律令制の時代から。
目的:徴税と治安維持
江戸時代:キリスト教を禁止するため。内心にまで踏み入る。〈宗門人別帳〉(土地の固定が前提)。出生、婚姻、養子縁組、離婚、住所の変更、職業の変更、死亡などを管理。浮浪人のように戸籍に把握されない人間は、幾らでも存在した。
明治時代:〈壬申戸籍〉。徴兵と徴税のために人口調査に用いられた。それを逃れるために無戸籍になったり、戸籍を偽装したりする事例が頻発。婚外子の無届け、戦時中に在外公館が閉鎖され、移民先の新生児が出生届を出せずに無戸籍になったり。遺漏の多い仕組みだった。
戦前は社会保障制度がまったく不十分だったから、徴兵を回避できるなら無戸籍の方が良いという考えに理解できる。
※戸籍に入ってないと、国体から阻害された。朝鮮半島の皇民化政策。
→"X"が無戸籍でないならば、犯罪歴を隠したいのかもしれない。それもかなり重い罪の。

p.200
人はなるほど、「おもいで」によって自分自身となる。ならば、他人の「おもいで」を所有しさえすれば、他人となることが出来るのではあるまいか。

p.248殺人を犯した父親からの手紙
父親が捕まったあと、母親の妹夫婦の元へ。しかし、妹の夫が耐えられなくなり、妹が夫と姉の板挟みになり鬱病に。結局そこを出る。原マコトの母親も蒸発。マコトは中学を出るまで施設に入る。最初の転校先は、近いところで、すぐにバレ、いじめられた。マコトの父親はマコトよりちょっと年上の子供も殺している。その友達からもコイツのオヤジが殺したんだよって憎まれた。そのあと施設から通った中学ではみんなマコトの素性を知らなかったみたいだが、マコトが内向的になったことが原因でいじめられた。定時制高校に入学し、すぐに、退学している。それから施設も出て、ボクシングジムに来るまでの二、三年は、ホームレスみたいな生活をしていた。未成年で、住民票もなく。一九九三年、原さんが十八歳の時、小林謙吉は死刑が執行されている。死刑になって二年くらい経って、ボクシングジムに来た。
マコトは父親のことを死ぬほど恨んでいた。大人しい男だったが、なんであんな親から生まれてきたのかって、その話になると、何かに取り憑かれたみたいな怖い顔になって、震えていた。殺された子供とも遊び仲間だった。
面会にも行かなかった。(父親から)手紙が来ても、後悔とか、罪悪感とか色々書かれてるけど、結局、自分が辛いっていう話ばかり。被害者への謝罪もかたちだけ。マコトには、自分とのいい思い出を忘れないでほしいって懇願していた。
マコトは父親のことを生きててほしかったとは言わなかった。

p.250~ボクシングジムの人(会長と仲間の柳沢)から見た原誠
暗いヤツじゃなかったけど、大人しい感じ。
新人王決定戦を辞退する理由を会長が訊いた時、初めて、父親のことを話した。
華々しい場所に立っていいんだろうか
ずっと日陰者として生きるのが嫌だったから始めたボクシングなのに、いざとなると。バッシングも怖かったのだろう。でもそれだけじゃない。殺された友達にもすまないと思ってた。
心と体が一致しない感じ。すごく気持ち悪い着ぐるみの中に閉じ込められてて、一生出られないような感じ。それは、死刑囚の子供として見られるっていう意味もあるが、自分の見た目が父親とそっくりなこと。、自分の体に父親と同じ血が流れてると思うと、もう、掻き毟って、体を剥ぎ取りたくなるくらい気持ちが悪いらしい。好きになった子も抱けない。人間の最後の居場所であるはずのこのからだが地獄。愛し、愛される資格を欠いていると思いつめる人生。父親に似てるってことは、この世にいてはいけない存在ってこと。自分の体も、いつか暴れ出して、コントロールが利かなくなるんじゃないかって、ものすごい不安。周りがそう言っていじめてきたのもある。――普通の人は、どんなに腹が立ったって、人を殺そうなんて思わないでしょう?でも、自分はやってしまうんじゃないかって。だから、マコトはとにかく、自分の体を痛めつけたいんです。人から殴られたり、トレーニングでいじめ抜かないと、苦しいんですよ。それに、ボクシングで、自分の暴力の衝動を、コントロールできるようになりたいって。
それが本人の言う動機。
マコトも、俺と同じでいじめられてたから、なんかそういう理屈になっちゃったんですよね。毎日、殴られてると、その現実を受け容れるために、自分も自分を殴る側に回っちゃうっていうか、殴られても仕方ないんだって思ってしまうんですよ。これはもう、どうしたって。
まァ、……自傷行為みたいに、痛みが自己否定的な感情を癒やしてくれるっていうのは、僕も思い当たるところがありますけどね。
けど、会長は、マコトの話が、多分よくわからなかったんですよ。苦しむことで、父親の罪を償ってる、みたいな話と思って、その考え方はおかしいって、かなりキツく言ったんです。幾らお前が苦しんだって、殺された人が生き返るわけじゃないし、苦しんでる僕を見てくださいってのは、お前の父親の手紙(p.248)と同じ自己満足だろうって。マコトは、そういう意味で言ったんじゃないの、多分。まぁ、会長は会長なりに心配してたし、色々しょうがないんだけど。――それで、お前はお前の人生なんだから、どうしても気になるなら、遺族のとこに挨拶に行ったらどうかって会長は言った。誰が文句言おうと、遺族がお前の生き方を認めてくれるなら、堂々としていられるだろうって。
マコトはかわいそうだった。
いよいよどうするか(遺族に挨拶に行くかどうか)決めなきゃいけなくなって、近所の公園まで来たところで、足が止まって、ストンと力が抜けたみたいに両膝を着いちゃって、大丈夫か?って近づこうとしたら、そのまま突っ伏して、腹ばいで泣くんですよ。広い公園の真ん中で。地面に顔をこすりつけて、オンオン号泣して。寒ーい、霜が降りそうな時期でしたけど。
俺はさ、言ったんですよ。行かなくていいよって。会長はああ言ったけど、マコトが責任感じることじゃないしさ、それに、……相手の神経も逆撫でしますよ、きっと。
結局、行かなかったみたい。
すぐに事故を起こした。住んでたマンションの6階のベランダから落ちて、全身を何ヶ所も骨折。駐輪場の屋根の上に落ちたおかげで助かった。
自殺したかったわけではなく、どうしようもなくなって、何もかもから逃げ出したかったのではないか。新人王決定戦はもちろんパー。本人もどっか、ほっとした顔してた。退院したら姿を消してしまって、会長は自分を責めて鬱になった。
会長は、マコトをどうしてもチャンピオンにしてやりたかった。辛い人生だっただけに、それを変えてやりたかった。自信もつくでしょう?
けど、マコトはチャンピオンになりたかったわけじゃないの。ただ、普通の人間になりなかった。フツーに、静かーに生きたかった。誰からも注目されずに、ただ平凡に。心の底からそう思ってた。けど、
会長がチャンピオンにならせてやりたいって一生懸命なのも知ってたし、辛かったと思う。……
「普通の人間」ありきたりの反論がしつこく纏わりついてくるのを払い除けながら、城戸はその言葉に込められた強い憧れの気持ちをさながらに受け止めた。

P258
柳沢「早死したのはかわいそうだけど、……最後に幸せになって、良かったな。」

p.259~小見浦が「過去のロンダリング」の仲介を始めたきっかけ。
一九九三年、イギリス、リバプール、「ジェームズ・バルガー事件」
当時十歳だった少年二人が、ショッピング・センターで誘拐した二歳のジェームズ・バルガーを惨殺。
二人は、十八歳になると、八年の刑期を終えて、猛烈な反対運動が起こる中、残りの人生を"別人として"生きるための、まったく新しい身許を与えられ、仮釈放された。
この元受刑囚二人のうち一人が、周囲に感づかれないまま結婚し、とある企業のオフィスに勤務しているという情報がタブロイド紙に暴露されたのが、二〇〇六年一月。

p.263~原マコト(X)の父親、小林謙吉の過去。
幼少期:食事さえ満足に与えられないほどの貧困。父親からの凄まじい暴力。
十代の頃:素行不良。高校中退。しばらくブラブラ。やがて地元の工場で働き始める。両親と絶縁。一人暮らし。
二十一歳:ニ歳年下の女性と結婚。
三年後:一人息子の誠が生まれる。妻にも子供にも暴力を振るっていたが、それが大きな問題となる時代ではなかった。傍目には極一般的な家庭。
三十代目前:中学時代の先輩との再会を期に、ギャンブルにのめり込む。借金漬け。
一九八五年の夏:事件。誠が入っていた「子ども会」を通じて親しくなった工務店の社長宅に押し入り、夫婦と小学六年生の男児一人を惨殺。十三万六千円を奪った後、犯行を隠すために放火。一週間後逮捕。「鬼畜の所業」と報じられた。死刑は当然視。起訴事実を争わず、控訴もしなかった。

p.265~小林謙吉事件と国家について、城戸の考え
小林謙吉のような人間は、現に存在している。彼に罪を犯させるに至った遺伝要因と環境要因、更には数多の偶然と必然とに、人間の歴史上、前代未聞の例外的な条件は何一つなく、寧ろ、何もかもが溜息が出るほど凡庸だった。
だからこそ、彼には責任があるのだとは、城戸にも当然に考える。彼は、個人の自由意思を一切認めないといった極端な立場にまで、どうしても立つことが出来ない。しかし、小林謙吉の生育環境が悲惨であることは事実であり、彼の人生の破綻が、大いにその出自に由来していることは明白だった。
国家は、この一人の国民の人生の不幸に対して、不作為だった。にも拘わらず、国家が、その法秩序からの逸脱を理由に、彼を死刑によって排除し、宛らに、現実があるべき姿をしているかのように取り澄ます態度を、城戸は間違っていると思っていた。立法と行政の失敗を、司法が、逸脱者の存在自体をなかったことにすることで帳消しにする、というのは、欺瞞以外の何ものでもなかった。もしそれが罷り通るなら、国家が堕落すればするほど、荒廃した国民は、ますます死刑によって排除されねばならないという悪循環に陥ってしまう。

p.266~城戸と妻の意見の違い
妻「わたしと颯太の二人が殺されたら?」
城戸「何か、よほどのことがあれば、人を殺してもいいという考え自体を否定することが、殺人という悪をなくすための最低条件だと思う。簡単ではないけど、目指すべきはそっちだろう。犯人のことは決して赦さないだろうけど、国家は事件の社会的要因の咎を負うべきで、無実のフリをして、応報感情に阿るのではなくて、被害者支援を充実させることで責任を果たすべきだよ。いずれにせよ、国家が、殺人という悪に対して、同レヴェルまで倫理的に堕落してはいけない、というのが、俺の考えだよ」
妻の目は、怒りと失望に赤く染まって震えた。

p.273~
原誠の心が自由になれなかったのは、父親が過去に犯した罪のせいである。子は子であり、その責任を彼が感じねばならない理由はない。しかし、被害者の家族が苦しみ続け、加害者の家族に苦しみがないという非対称に、他でもなく、原誠自身が不合理を見て、苦しんでしまう。しかも、彼は過去に対しては負い目があり、未来に於いては、父の罪を反復するかもしれない、社会のリスクと見做されているのだった。

p.287~城戸と妻の会話
でも、とにかく、俺は君とはうまくやっていきたいんだよ、本当に。この一言を言うのに苦労したけど、君には愛想を尽かされたくない。俺は困るんだよ、それは。散々考えたけど、やっぱり困る。けど、無理強いするわけにもいかないし、どうすれば君に愛されるかって自問自答を、結婚十二年目にして、出会った頃よりも遥かに深みのある悩み方で反復してるんだよ。

p.307~男同士の惨めな嫉妬と競争心
美涼「恭一くんはモテるんですよ。わたしはチャラすぎて駄目なんですけど。ダイスケは、不器用で、風采も上がらないし、けっこう人からバカにされるタイプで。本人も、悪いんですよ。からかわれ役を喜んでるようなフリをするから。いつもニコニコ笑ってるのに、どっかで我慢できなくなって、爆発するんです。そしたら、みんな引くでしょう?何なのこいつ、急に?って。でも、急にじゃないんですよ。」「恭一くんは、弟をバカにしてたから、わたしがダイスケとつきあいだしたことが、どうしても許せないんです。」
城戸「プライドが高そうですからね。」
美涼「それもあるし、……」「高校生くらいの男の子って、性欲がすごいじゃないですか。」
城戸「はは、まぁね。」
美涼「だから、ダイスケがわたしとセックスしてるってことが、もう我慢できないんですよ。なんか、彼の中で何かが猛り狂って、暴れ回ってる感じ。」「だから、その頃から、わたしのこと、ずっと好きでいてくれたとかって、そういうきれいな話じゃないんですよ。とにかく、わたしとやりたいんですよ。」「今のわたしがどうとかって関係なくて、一回でもやったって事実がないと、収まりがつかないって感じで。」
城戸「『三角形的欲望』って知ってます?ルネ・ジラールだったか。人間は、一対一で欲望するんじゃなくて、ライヴァルがいるからこそ、自分もその相手をいいと思うんだって話。」
美涼「あー、……でも、そのライヴァルは、どうしてまず最初にその相手を好きになるんですか?」
城戸「ん、鋭いね。……錯覚するんじゃないですか?ライヴァルがいるって。それか、一種の天才か、変人か。」
美涼「じゃあ、ダイスケも、恭一くんへの対抗心からわたしを好きになったんですか?」
城戸「うーん、……失礼、いい話じゃないね、これは。」

p.310~
美涼「わたし、……この一年くらい、好きな人がいたんです。」
城戸「ああ、そうなんですか。」
城戸は、平静を装って応じたが、軽いショックを受けている自分に呆れた。
それは、好きな人くらいはいるだろうと、当然のこととして受け止めようとする気持ちの一方で、女性のその気配を、まったく感じ取れないことに関しては、十代の頃からふしぎなほど進歩がなかった。その告白はいつも唐突で、噂を耳にするのは意外だった。

p.313~
美涼「原誠っていう人、どうしてダイスケになりすましてたんですか?自分の戸籍が嫌だったのはわかりますけど、どういう生い立ちだったかとかは、別に自分で好きなように考えれば良かったんじゃないですか?」
城戸「もちろん、適当な作り話で過去を隠してる人もいると思いますけど、……共感したんじゃないですか、大祐さんに。小説読んだり、映画見たりって、そうでしょう?自分で好きな話を考えて、それに自分の気持ちを込められるっていうのは、一種の才能ですよ。なかなか、みんなが出来ることじゃない。――それにやっぱり、他人を通して自分と向き合うってことが大事なんじゃないですかね。他者の傷の物語に、これこそ自分だ!って感動することでしか慰められない孤独がありますよ。……」
城戸は明らかに、自分の原誠への興味に重ねながら話していた。

p.313~
城戸「未来のヴァリエーションって、きっと、無限にあるんでしょう。でも、当の本人はなかなかそれに気づけないのかもしれない。僕の人生だって、ここから誰かにバトンタッチしたら、僕よりうまく、この先を生きていくのかもしれないし。」
美涼「なんか、企業の社長の交代みたいですね。サッカーチームの監督の交代とか。」
城戸「法人は、ローマ帝国の時代からそういう考え方ですよ。人民が変わっても国家は同一だって。」「個人となるとまた違いますよね。まず死があるし、寿命がある。それに、原誠さんはやっぱり谷口大祐さんではないわけで……」
美涼「でも、原誠さんのままでもないでしょう?」
城戸「そうですね、……大祐さんの人生と混ざっていくのか、同居してるのか。――そうなると、僕たちは誰かを好きになる時、その人の何を愛してるんですかね?……出会ってからの現在の相手に好感を抱いて、そのあと、過去まで含めてその人を愛するようになる。で、その過去が赤の他人のものだとわかったとして、二人の間の愛は?」
美涼「わかったってところから、また愛し直すんじゃないですか?一回、愛したら終わりじゃなくて、長い時間の間に、何度も愛し直すでしょう?色んなことが起きるから。」
城戸「そうですね。……愛こそ、変化し続けても同じ一つの愛なのかもしれません。変化するからこそ、持続できるのか。……」

p.318~元谷口大祐、現曾根崎義彦と対面
城戸「谷口大祐さんですよね?」
谷口「曾根崎で呼んでもらえます?」「経験してない人にはわからないでしょうけど、戸籍を交換して、一年も経ったら、本当に別人になるんですよ。谷口さんって言われても、正直、アレ、俺のこと?みたいな感じで。過去も一緒に全部入れ替えてしまうから。俺も、戸籍交換するまでは、谷口家の人間のこと、憎んでましたけど、今はもう、他人事ですね。フェイスブックで谷口恭一さんを見ましたけど、田舎のイタい社長にしか見えませんでしたし。」
城戸「昔のこと、思い出したりもされないんですか?」
谷口「人間関係も断って、その土地から離れたら、自然と忘れていきますよ。――いや、ただ忘れようとしても、忘れられないですよ、嫌な過去がある人は。だから、他人の過去で上書きするんですよ。消せないなら、わからなくなるまで、上から書くんです。」
城戸が考えていたような、他者の傷の物語を生きることで自分自身を生きるといった話とはまるで違っていた。

p.321~
『谷口大祐』の戸籍は、人気があった。犯罪歴もない、きれいな過去だったから。

p.326~
大祐は、そう言って、気が滅入るほどいやらしい笑い方をしてみせた。
城戸は、見た目こそ違うが、結局のところ、恭一と彼とは似たもの同士の兄弟なんじゃないかと感じた。少なくとも、美涼とつきあっていた時の大祐は、そうではなかったらしいが。……ヤクザの子供だという"自信"が、彼をそうさせているのか。それとも、無意識に、どこかで兄の態度を模倣しているのか。いずれにせよ、彼の性質にのみ帰すことは出来ないような、境遇の不幸が齎した、一種の精神的荒廃を感じた。

p.49,p.340~
ギリシア神話のオウィディウス『変身物語』