このレビューはネタバレを含みます
原作未読。
事故で亡くなった夫、一周忌に親族を呼んでみるとこんな奴は知らないと言う...
じゃあ私が好きだったこの人は一体誰なのか?というその素性をめぐる物語。
1人の人間ついて、この人ってどんな人ですか?という問いに答える上で存在する2種類の情報。
直接関わらなくてもわかる人を分類する上での表層的な情報と直接関わったからこそ見えてくる内面的な部分。遺伝(受け継がれる)するものと言わば伝染するものと表現出来る気もした。
今作では特に本人の力だけではどうにもならない前者の厄介さにスポットが当たる。
親、出自、名前など。
間違いなく個人を構成する一要素でありながら選ぶことは出来ない。ただ、関わったことがない人の場合、内面を計り知ることは出来ないのでそういった情報である種分類してしまう(少なくともこういう人なのかも?と想像してしまう)のは認めなければいけない事実だと個人的には思う。
かつ情報に溢れた今の時代、前情報なしで知らない人と出会うこと自体難しいし(それはそれで嫌だし)、その上語られる情報一つ一つに対してそれってなんですか?と聞いてしまうような、真の意味でゼロの状態で人と接することなんて無理だと思う。人間はどうしても何かと何かを連想ゲーム的に結びつけてしまう。
ただ、そんな表面情報だけで当の本人の気も知らないで揚げ足を取られてしまう状況への苛立ち、悲しさ。
結局は知ったような口で他人を語るなということなのだけど、これまた難しいことは今でも差別、いじめをはじめとした諸問題が物語る。自戒。
シーン的にはイライラさせる風に映されてはいたけど、弁護士の義父が放った君は違うけどねという発言が悲しいかなひとつの落とし所ではあると個人的には感じてしまった。その"違う"人をより多く知ることで、長い時間をかけて分類事態が変わっていく。ただ、間違いなく在日どうのこうのと本人の前で口に出すことはミス。
どんな前提があろうと自分とあう人もいればあわない人もいる、それだけのことのように思う。
違う名前を名乗れば違う人生が歩めるのか?
今作における個人を証明する要素の一つとしての名前扱いはなんか重要視されがちだけど、結局ただのアイコンであり、それで個人を特定することは難しいとする安部公房的な切り口もあって好き。
最後に安藤サクラが語る"結果論だけど、こんなこと別に知らなくてもよかった気がする"はきっとその通りで、あの文書の中に自分の中にいる夫を象徴するものは殆ど何もなかったはずで、内面を知っている人たちにとっては瑣末なもの。でも、この状況に行き着くまでにとにかく時間がかかる。
安藤サクラの泣き、妻夫木聡の怒鳴り、窪田正孝の苦悩、それぞれすごく印象に残っていてとても良かった。何よりあの拘置所のジジィ、めちゃくちゃ曲者な上に人の急所を知っている。すなわち内面をある切り口では理解している立ち位置、存在感が素晴らしかった。
あと、象徴的な要素として人物が写ってない部分がかなり良くて、最初と最後の絵しかり、手の熱で曇った手形が薄れていく部分とか最高でした。
最後もわかりやすいけど、間違いなく"良い"終わり方で、フとしたタイミングで人生は分岐していくんでしょうね。
気まぐれの現実逃避。個人的には戻ってこれることを願います。