砂

ある男の砂のネタバレレビュー・内容・結末

ある男(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

映画の内容から飛んで考えたこととしては、名前がもつ意味というか、役割。
言い換えると、人やものが言葉(というか、文字や音)でラベリングされることについて。
戸籍の交換を妻夫木が事務所で説明するシーンでワインボトルが使われていたけど、あれにも深い意味があると思った。ワインボトルは物理的にラベルが貼られていて、我々はそれで中身を判断しているから。

原誠は「原誠」として生きる限り、死刑囚の息子であることに苦しみ続ける。だからこそ戸籍ごと取り替えるのは家も名前も手放せる救いの道だったのだろう。でも、過去だけは変わらない。「原誠」のラベルが剥がされても、ボトルの中身は変わらない。つまり、人やものには「名前」が当たり前のように振り分けられるけど、実はただのラベルであり、中身を保証する本質的な力はない。ただ存在を認識するためだけの文字や音。それなのに現実で「原誠」を名乗れば、死刑囚の息子であるとか、人の過去や中身を判断する材料になってしまう。「名前」というラベル、つまり表面的な情報の怪しさを疑ったことはあるか?っていうことを柄本明のセリフから考えさせられた。

まとめると、
窪田正孝が安藤サクラと幸せな時間を過ごせていたように、戸籍を変えれば人生を変えられる。それは、「名前」によって周囲からの認識が変わるから。ここに「名前」がもつ力の強さが表れている一方で、「名前」は簡単に変えられるし偽われる、ただ自分をラベリングしている文字や音でしかないという弱さも感じた。終盤で妻夫木が魚の名前を間違えてたのもこれに繋がる。
このことは、私から何を奪えば私ではなくなるのか、つまり何が私を「私」たらしめているのかって話にも発展すると思う。
砂