黄金綺羅タイガー

ある男の黄金綺羅タイガーのレビュー・感想・評価

ある男(2022年製作の映画)
3.3
妻夫木聡の苦い顔がいい。
窪田正隆の怖れを感じる顔がいい。
安藤サクラの泣いている顔がいい。

動きで語る心情描写とモノローグの入れ方が邦画的でとても良い。
日本文学によくある妙な言い回しのレトリックも邦画的でとても良い。
全体的にすごく丁寧に邦画らしく作られた邦画で、こういう作品が邦画にもっと増えたらいいのに、と思った。

内容はというと、名前も過去も他人と取り替えて生きるのはどんな感じなのだろうということをぼんやり考えながら観ていた。
名前を変えてもなにを変えても、結局自分は過去の自分と地続きで、結局はなにをしたって逃げられないと僕は思っている。
ふとした時に出る自分の癖も、父と同じ足の形も、母とおなじ燃費のわるいミトコンドリアも、受け継いだ血もDNAも変えられない。
それを感じる時に否応なしに自分を認識させて、嫌になったり、安心したり。
それなら戸籍と名前だけ取り替えたって一緒じゃないか。
だからそんなことしたって意味ないんじゃないか。
でもそう思えるということは僕は幸せなのだろうな、ともすこし思った。

自分の人生をだれかと交換したり、偽ることで、彼らはやっと過去と折り合いをつけられて前に進めたのだろう。
そしてそうすることで、一時でも自分という呪縛から抜け出して、彼らは彼らの人生を歩むことを許されたのだろう。
しかし、なにを変えても受け継いだ顔も血も、紡いだ縁もどこかで繋がっていて、それらは彼らにとって時として幸いなことであったり、不幸なことであったりしたのだろうと感じる。

あと、別に本作には関係ないことなのかもしれないが、とてもとても拡大解釈して考えてみた。
この映画は人種やら、加害者親族やら、家族との愛情やら、いろんな側面を描いていて、そこに引っ張られて考えがとっ散らかるときがあったのだけれども、別の誰かになりたい、別の世界に行きたいということだとシンプルに考えれば、ある意味なろう系というか、異世界転生系というか、それの現実バージョンと言えなくもない。
別の誰かになりたい、どこか別のところで幸せになりたいという考え方は現代の社会病理なのかもしれない。
しかし戸籍を交換して別人になったところで現実世界じゃあ、そう上手くいくことばかりではないし、幸せ掴むにもしっかり地道に努力しないとね、というある意味では異世界転生系へのアンチテーゼとも言えなくはないのかもしれない。
異世界転生系への妄想というテーゼと、逃げられない現実世界というアンチテーゼをアウフヘーベンして、より良い世の中というジンテーゼに至るといいですね。