SANKOU

ある男のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

ある男(2022年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

ストーリーの面白さももちろんあるが、登場人物たちの作り出す空気感に非常にリアリティーを感じる優れた映画だった。
決してダイナミックな作品ではないがどこか引き込まれる。
小さな文具店を営む里枝は、まだ幼い息子を難病によって亡くしており、治療方針をめぐっての衝突から夫とも離婚していた。
涙を流しながら文具を並べる彼女の姿から、時が経った今も息子の死を乗り越えられないでいることが分かる。
そんな彼女の住む町に絵を描くことが趣味の寡黙な男が現れる。
大祐と名乗るその男は林業の仕事に就くが、実は老舗旅館の次男坊であり、市の職員は訳ありの男なのではないかと噂をしていた。
ある日、大祐は自分の描いた絵を持って里枝の店を訪れ、友達になって欲しいと彼女に告げる。
やがて二人は親密な関係になり結婚する。里枝の息子の悠人も実の父親のように大祐を慕い、新しく生まれた花という娘の存在もあり、一家は幸せの絶頂にいた。
しかし唐突に大祐は事故によってこの世を去る。
彼の一周忌に、里枝は絶縁状態だった彼の兄恭一を呼び寄せる。
亡くなった大祐への不快感を隠そうともしない恭一だが、線香だけはあげさせて下さいと彼女に頼む。
そして仏壇を見て彼は里枝に尋ねる。
写真は置いてやらないんですかと。
この場面の何とも言えない緊迫感が印象的だ。
仏壇に飾られた写真を見て、恭一は大祐ではないと断言する。
果たして里枝が一緒に暮らした男は何者だったのか。
大祐の正体をめぐるサスペンスの要素を期待し過ぎると、肩透かしを食らう作品ではあった。
この映画の趣旨は謎解きにあるのではない。
ここから物語は城戸という弁護士の視点がメインで進んでいく。
彼は里枝が夫と離婚した時に相談に乗った弁護士だ。
この城戸という人物が、とても人格者で物腰も柔らかいのだが、どこか心の読めない部分があり、ミステリアスな印象を残す。
彼は里枝からの依頼を受け、Xと仮称する彼の夫の正体を探るこの案件にのめり込んでいく。
そして彼はある戸籍を交換する詐欺師の存在を知ることになる。
他人の人生を上書きすることで、新たな人生を生きる人たち。
そしてそうしなければ生きていくことが出来ない人たち。
城戸がある過労により自殺した男の裁判の弁護をする場面がとても象徴的だ。
城戸の義父は、それだけ仕事がキツいなら逃げればいいだけの話じゃないかと口にする。
城戸はそういう正常な判断が出来なくなるほど、追い詰められていたのだと反論する。
人生から逃げることが出来なかったが故に、男は自殺を選んでしまった。
それに対して、生きるために自分の人生から逃げる選択をした人たち。
そしてその中には、自分の力ではどうしようもない理由から逃げざるを得なかった人もいる。
城戸が在日の三世であることが知らされるシーンがあるが、具体的なエピソードは描かれないものの、そのことに対して彼があまり触れられて欲しくない過去があることは分かる。
彼は思わずヘイトスピーチの特集番組に釘付けになったり、詐欺師の小見浦から在日であることを指摘された時に露骨に不快感を面に出してしまう。
彼が在日であることは、彼の力では変えられない事実だ。
そして城戸が追っているXの正体。それは死刑囚の息子だった。
本名は原誠であり、彼も自分の力ではどうしても死刑囚の息子であることから逃れることは出来ない。
もちろん父親が死刑囚であることと、彼の人生はまったく関係がないと思ってくれる人間もいる。
しかし中には死刑囚の息子は所詮死刑囚の息子だと偏見を持つ者もいる。
そして得てして人間は、自分に向けられる善意よりも悪意の方に敏感になってしまうものだ。
誠は自分の身体の中にいる父親への嫌悪感から、自分を痛め付けるためにボクシングを始める。
しかし彼は新人王を目指す土壇場になって、自分の中にいる父親からどうしても逃げられずにすべてを投げ出してしまう。
映画の中では描かれないが、彼が戸籍を変えなければならなかったのは、ただ自分の中にいる父親への嫌悪感だけではなく、周囲からの無理解から逃れるためでもあったのだろう。
Xの正体が明らかになるにつれて、どうにもやりきれない感情が沸き起こると共に、どこか穏やかな気持ちになる部分もあった。
それは誠が上書きされた人生の最後が、とても幸福に満ちていたことが分かるからだろう。
本物の大祐も同じように人生から逃れるために戸籍を変えていたのだが、彼の居場所も最終的には明らかになる。
城戸はすべてを見届ける。
個人的には里枝が最後に城戸に話した、真実など知る必要がなかったのだという言葉がとても大切に思えた。
彼女が大祐という名の男と出会い、好きになり、一緒になり、子供が生まれた、それは嘘ではなく紛れもない事実なのだから。
城戸は今の人生を手放したくないと強く思う。
が、最後に彼がバーで見知らぬ男と話すシーンはかなり意味深だった。
彼が最後に自分のことを何と名乗ったのか、とても気になるラストだった。
ちなみに冒頭とラストに登場する画は、マグリットの『複製禁止』。
鏡を覗いている男が、鏡の中に映る自分の後ろ姿を見ているというあり得ない構図が人を不安にさせる印象的な作品だ。
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