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マイスモールランドのcyphのレビュー・感想・評価

マイスモールランド(2022年製作の映画)
4.9
こんなにも質実共に素晴らしい作品を去年スルーしてしまっていたなんて…のショックの中にいまもいる 在留クルド人として埼玉に暮らす17歳のサーリャは、自身の記憶のない故郷を愛する父、日本語しか喋れない妹やちいさい弟、ルーツを曖昧にしてつきあう同級生やバイト先の人々に囲まれて、ちいさな不和を日々感じながらもささやかに暮らしていた ところが彼女ら家族の生活は、難民申請不認定という突然の通知によって一変し…というストーリー

PLAN75はSFという形式と倍賞千恵子という擬似当事者を用いて現代日本の差別構造を描いたけれど、マイスモールランドはゼロ年代的一人称青春映画という画風と、嵐莉菜という擬似当事者によって現代日本の難民問題をきわめて繊細に・共感的に描いている(また双方女性監督の初監督作品という点でも共通している) どちらもほんとうに素晴らしい作品なのでこれらの優劣を比べることに意味はないけど、本作はより少女の一人称視点であることに重きを置いていて、彼女の心情の変化に目を澄ませることこそがなによりも雄弁な語りになる、という哲学に貫かれていてもうその在り方だけで泣けてしまう

サーリャ・彼女の父・妹・弟を演じた4人が実の家族だということ、サーリャを演じる嵐莉菜さんは5カ国にルーツを持つ埼玉出身のマルチルーツであり、また河和田監督もイギリスにルーツを持ち"西洋的な顔立ちの日本語ネイティブ"としての生きづらさを経験してきたひとりであるという当事者性も、この作品の魅力を力強く後押ししてる たとえば「本当はクルド人なんだけど、言えなくて、ワールドカップでどこ応援する?て話の流れからなぜかドイツ人ってことになっちゃって、それからいつもドイツ人って名乗ってた なんかそれが、ちょうどよくて」というサーリャの独白は、監督や役者による撮影前ワークショップの中で語られた体験談をもとに組み込まれたそう ちいさな台詞ひとつひとつが、朝の身支度の所作ひとつひとつが「彼女ら/彼らの語り」として響く それだけでほんとうに泣いてしまう(ってずっと言ってしまう…)

しかも、驚くべきことに、難民問題に対する問題意識や憤りといったものをたとえ一ミリも持ち合わせなかったとしても(そんな人が存在するのかわからないけど)本作は依然として瑞々しく光ってる と思う それをあえて言葉にしようとするならば、少年少女のこころの交流、あるいは家族の苦難と再生という普遍的な(あるいはゼロ年代的な)ストーリーの中にたくさんの、機微に穿った「違和感」が非作為的に散りばめられているからだと思う 直截に言えば、西洋的な顔立ちの少女が日本の高校の制服を着て川べりを自転車で走っていく様子はどうしても「違和感」をもたらす 見慣れないから、わっ て思ってしまう でもいやいや そんな失礼な そういったことだってあるに決まってる でも実際にわたしは違和感の一切ない、画一化された生活風景によほど見慣れているんだな…などなど たったのワンショットで胸中に波紋が広がっていく その白黒つけられる前の、混乱にも似たあわいとしての「違和感」を、裁かず決めつけずあるがままに委ねてくれる姿勢こそが、この作品で最も美しい部分だと思う

そして「違和感」は作中の人々の間でも繰り返し交換されていく サーリャから見た父、 妹から見たサーリャ、サーリャから見たクルドの若い婚約者(と勝手に決められてる男)、颯太の母がサーリャの野菜の切り方に驚くのだってそうだ けして大仰に演出せず、それぞれの主観に寄り添った感情の揺れとして描かれる様子はほんとうに素晴らしい そしてどこかのタイミングで気づく、違和感は「新しさ」と「不気味さ」の中間体だ コインランドリーの2階に住まわせてもらっているクルド人家族を、いままでわたしたちが認識してこなかった隣人だと思うか、不気味な存在だと思うかは紙一重の違いしかない だからスクリーンの中に「違和感」を見つけるたび、わたしたちはそれを「新しさ」として点滅させる ホラー映画が見知った景色が不意に解体されていく「不気味さ」の点滅であるように、この作品は見知った(と思っていた)この国での風景が切り裂かれていく「新しさ」の瞬きだ

そしてその「新しさ」にもすっかり慣れ親しみ彼女たちの生活をなんの「違和感」もなく眺めるようになったころには、今度は難民申請不受理・仮釈放処分というある種彼女たちの「不気味さ」だけを理由にしたようなグロテスクな外部暴力が津波のようにすべてを押し流していく 「まずは就労は原則禁じられます。県外への移動も制限されます」という淡々とした役人の説明以上に不気味なものなんてないというのに それでも、迫害とも言えるような過酷な状況に物語が進んでもなおこの映画が希望のような何かを湛え続けるのは、常にスクリーンの中で「新しさ」が更新されていく映画的なよろこびがそこにあったからだと思う(難民問題はそれはそれとしてほんとうにほんとうに最悪だしサーリャ一家に降りかかるすべての災難は自死が起こったとしてもなんの不思議もないくらいちゃんと最悪なのですが、それはそれとして)

こうした大きな問題をちいさな映画(それはほんとうにいい意味でのちいささ)の中に描くのはほんとうにむずかしいと思うけど、それを見事に乗りこなしているのは嵐莉菜さん始めとした役者の説得力、そして台詞の力 ディティールの力だと思う 「新商品じゃん」「俺もオレンジと水色を見たらおじさんを思い出すよ」「(サッカー)弱かったんだ」「原宿もいけないってこと?」「音を立てない方がおいしい」「自転車どこ?」 ヘアアイロンをかける時間、学校からの帰り道ロビンに寄り添う父とサーリャの歩き方、妹と同級生たちとの踊ってみたの練習風景 思い出すシーンがたくさんある みんなに見てほしい、わたしが声を上げなくてもみんなに見られるべき映画だと強く思うけど 見たら感想教えてください






(基本的に120%の強度で薦められる強い作品だったけどただ一点、颯太との玄関でのやり取りがストレスフルで素晴らしかっただけに、そこからロビン探しに展開するのは突然凡庸で夢から覚めてしまった心地がした それ以外は、是枝監督の血脈を力強く昇華させた素晴らしい映画だと思う)
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