ショック映像や記号化されたサウンドによって観客を興奮させ続けるには不可能な長さであるため、モンタージュはおろか早回しすら禁欲的に排されており、脈絡が吹き飛んだホラー映画になってしまう。
三種類の挿話から突如切り返しによって二人の目線が交錯する瞬間にゾッとする。同フレームにこそ収まらないが、人体の一部分やアクションの反復によって潜在意識の根底で共鳴し合うため完全に異空間かと思われていた物語が並置される。
しかし正直なところ前半、カメラとバットを手にした女子大生たちが戯れる部分の退屈さは少々寝てしまった。暴力と映画を象徴する二つの要素であるが、二人の人間がカメラを持って即興的に暴れているようにしか見えない、普遍的な面白さを真正面から撮ることを許されないのが前衛作家の宿命だ。