本日の一本。画面が明るくなるとパチパチと手を叩く人もいたが、とてもそんな気にならない複雑怪奇な映画である。
一言で言わせてもらえば、非常に評価の難しい傑作。というのもノーラン演出が極まっておりノーランオタクでもないと整理がつけられないような難解さがあったのだ。
公開前のイメージとして天才科学者ロバート・オッペンハイマーが原爆を生み出し、そこからその原爆の余りのパワーに苦しむというそういう映画なのかなと思っていたが今作を今一度見返してみると、
①宇宙の話をするオッペンハイマー(ブラックホールの存在を見出す辺りは物凄く「インターステラー」)
②原子核の分裂による爆発的エネルギーの発見により原爆開発がナチス・ドイツとの競争になると判断しロスアラモス研究所を立ち上げるオッペンハイマー
③最初の原爆「トリニティ」が爆発し開発成功、二発目「リトルボーイ」と三発目「ファットマン」を見送り、原爆の父となるが一転赤狩りの疑惑をかけられ公聴会に召喚されるオッペンハイマー
④公開される一般審問会(ここだけモノクロ…後にストローズ少将の視点の時に白黒になるという解説を観たので注釈)
の4チャプターが存在する(その他オッペンハイマーとアインシュタインの邂逅なども適時差し込まれる)。
これらのチャプターをノーラン節によって時系列シャッフルするものだから一見でかなり分かりづらい。
後はこれまでのサスペンスのエンタメ的面白さもあった過去作から「シン・ゴジラ」級の椅子に座ってあーでもないこーでもないと話をするポリティカルサスペンスの絵面がノーラン作品の中でも地味目でブラックホールの話過ぎたら退屈だなぁと思うシーンが多い。
しかし1945年4月末のヒトラー自決以降。今まで他人事であったスクリーンの中の話は我々の喉元までやってくる。東京大空襲、ポツダム会談、日本を降伏させるために一発目で威力を二発目で継戦の意志をという台詞、標的に選ばれる12の都市、そして新婚旅行に行ったからと軍高官の一言で除外される京都、予想被害数等など…8月6日を迎えるまでのカウントダウンが一気に早まっていく。
そして行われるマンハッタン計画の集大成、トリニティ実験。爆発するその“神の雷”はこれまで目に入れた核爆発の中で最もクリアな映像美であった。核爆発のシーンは大体エノラ・ゲイかボックス・カーかクロスロード作戦の映像なのでこれはかなり衝撃を感じるだろう。神の雷と形容されるのも納得の鮮やかな死の光である。そこからドォン!とみぞおちに刺さる衝撃音は文字通り”ピカドン“だ。これは言葉では伝えられないので映画館で体験してもらうほかない。
その後原爆は広島と長崎に投下されるわけだがこのシーンはラジオのアナウンスでのみ報じられる。なんで映像ないねんと思うかもしれないが本作の主役はあくまでロバートオッペンハイマーであり原子爆弾ではないということだ。実際作中でもオッペンハイマーはミッションとして原爆を制作したのであり使う使わないの権利はないと話す。ソビエトの脅威があることはわかっていたからどの道自分が降りても誰かが作っていたのであろう。彼が投下に反対していたらと思うことも出来るがそれは歴史のifなので考えるに値しない。
問題は落とした後でここからの「我は死なり、世界の破壊者なり」(ここの引用がセックスシーンである必要はあったのか)とメンタルぶっ壊れオッペンハイマーとソビエトに渡る原爆の作り方、そして吹き荒れる赤狩り旋風と作風が変化する。ここで医療ドラマに出てきそうな悪役ストローズ(トニー・スターク以来の大ハマリ役)がオッペンハイマーを追い詰める。彼に味方する者もいるが彼の水爆開発の反対するという声を邪険にする人々(政府含む)によってオッペンハイマーは表舞台から去っていく。
「バリー・リンドン」がしたかったのかな?兎も角想像の斜め上の結末を迎える本作。反核映画の側面と思って鑑賞すると痛い目に遭う一本。それ以外の要素がとても多かったのだ。ただ彼を誇張なく英雄としても虐殺者としてでもなく科学者として書き切ったノーランの一貫性はとても良かった。まぁ本人は宇宙研究やりたそうだったし時代が悪かったとしかいいようがない。
最後に本作を映画館で鑑賞出来るよう尽力してくれた関係者の方々に心から感謝申し上げたい。というよりも何故本作を被爆国日本での公開を躊躇う理由があるのか全くわからなかった。
原子爆弾の光と音を感じられるのは映画館だけである。原爆資料館では感じられない今だけの特別展だ。ご興味があれば是非とも鑑賞してみてほしいが、「ダンケルク」よりもハイレベルな理解力を求められるので予習は必須であろう。