Lisbeth

オッペンハイマーのLisbethのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.2
 映画を作り終えると問いが一つ残り、その問いから次の映画を制作する、とクロ現でノーランは話した。本作から前作TENETを振り返ってみて、その問いを考えてみると、"できること"と"すること"の間に横たわる倫理に関する問いが浮かぶだろうか。
 TENETでは、救出可能な友人を見殺しにして、世界を敢えては変えないことの倫理が最終的に描かれていた。そしてその救出可能性を担保しているのは科学技術だった。つまり科学技術を使用するか否かの倫理的葛藤を結局は描いている。
 しかし、その技術は誰かしらに開発されたものであって、その開発者はそれまでにはなかった倫理的葛藤の開発者でもある。恐らく開発者の葛藤は技術の利用者以上に大きいものだろう。それが本作の主人公オッピーで、TENETの名の無い主人公は、エノラゲイの乗組員だったと言えるかもしれない。
 本作では、"できること"と"すること"の軸とパラレルに、理論と実験、科学と政治、オッペンハイマー事件の策謀への抗議と看過、の対応がオッペンハイマーの周りを漂っている。オッペンハイマーはその人生を通して両者の間の"ゆらぎ"に甘んじ、また苦しんだ。
 印象的な始まりの毒リンゴの件は、若きオッペンハイマーが"できること"を実際に"すること"に衝動的に転化(点火)させたことを示している。それ以後オッピーは精神的に病むこととなったし、化学から理論物理へと研究対象を変更した。
 UCバークレーでは、理論的な量子力学の研究を進めるオッピーだったが、隣の教室には実験物理学を専門とし後々まで関わるローレンスがいる。またこの時期から組合運動への関心が高じていくものの、特定のドグマに拘泥しないことを信条に、自らは共産党入党を避けた。ただ、この動きがオッピーの将来に大きく影響したのは映画の通りで、学問と政治運動の間のゆらぎに翻弄されることになる。
 もちろん、最大の葛藤は原爆の開発と使用に関するもので、その技術的、政治的特異性によるものである。葛藤を持ち続けたことは、歴史的に両義的だったと判断される要因となる。同僚科学者からは政治家と見られつつ、将校グローヴスら軍人からはやはり科学者として政治から遠ざけられる。
 科学と政治の対応が印象的に表れているオッピーの発言があった。科学者は原爆の威力を理解できるがマスにはそれは実演してみないといけない、と。
 戦後は、ストローズの策謀を中心に原爆を取り巻く人々の政治的側面が描かれる。ただ時系列に沿って最後に描かれるのではなく、科学と政治の大きな対応を描きながら、科学側のオッペンハイマーの足取りと並行して展開される。鮮やかな爆発と時間差で爆風が襲うように、オッピーは称賛の的から時間を置いて九地の底に落ちる。ただ、オッピーが反抗しようと思えば反抗できるが、敢えて看過する姿勢が悪化の原因となったか。
 しかし、トルーマンとの会見以後はある程度葛藤にも収拾がつき始めて、遂に策謀への抗議を断固としたものとして明らかにしていく、、、??(もう一回見る)

 オッペンハイマーで残った問いとは。アインシュタインとの会話が鍵か。科学者は時として自分の意思と無関係に、周囲の人間たちのために称賛される。これは科学者に限ったことではないのではないか? 物事を捉えるうえでの、主観と間主観の対比、つまりは物事の"正解"の多面性に関する問いが残ったんじゃないかね?

爆発と衝撃波のあいだの時間差は撮りたい場面のひとつだったろうな。
池に降る雨の波紋は、核戦争で地表面に降り注ぐ核ミサイルの爆発のよう。
戦後がモノトーンなのはかなり効いてそう。色で理解を助けるノーラン。
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