この世には思いやりや道徳観では太刀打ちできない領域がある
オッペンハイマーは命を奪うことへの葛藤を何度も抱えていた、みたいに描写されていたけれど
だからといって私は彼の行為を肯定することは出来ない
あの凄惨な結果は予測出来ていたものだから
葛藤があったんならどこかで踏みとどまってくれよ 人として とどうしても思ってしまう
一方で、あの立場に自分がいたとして
ずっと聖人でいられるかといえば自信が無い
どこかのタイミングで聖人の仮面なんてブチ捨てて推進すらしてしまうかもしれない
私が踏みとどまったとして、いつか誰かは推進してしまうかもしれない
踏みとどまらなかったオッペンハイマーは自責の念に駆られた
結局どう転んでも不幸は起きる。
そして今現在そんな不幸がどこか海の向こうで起こっている傍らで 私たちは焼肉を食べ、仕事の愚痴に耽り、たまに黙祷をし思いを馳せる。
平和な環境に生まれて幸運だ、と感謝するなんて笑える
私はどう生きようか?