蛇らい

オッペンハイマーの蛇らいのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.7
ノーマルフォーマットにて。はじめに、IMAXカメラで撮影された作品ではあるが、1回目はノーマルフォーマットでの鑑賞をお勧めしたい。IMAX規格の映像だからすごいという映像表現ではなく、単純に映画作家としての革命的な手腕の凄さが感じられる。IMAXだから凄みを感じるのかというバイアスがかかってしまう恐れもあるため、初手はラージフォーマットではない、大きめのシネマスコープサイズのスクリーンで、いい音響設備の劇場で見ることがお勧め。

何度も繰り返すオッペンハイマーの脳内イメージと、轟音の音響設計に打ち震えていた。実際に核爆発を目の前に見ずとも、凄まじい恐怖感が押し寄せる。生命が瓦解していくようなイマジネーションすら覚える。差し迫る投下までのリミットを否応なしに意識下に潜在させた、観客の想像の力を射程とした映像表現であった。

実際の投下後の広島や長崎の写真や映像を使ってしまっては、本作を作る意味がなくなってしまう。創作の映像としての被爆地の表現がなかったことが批判的に言われるが、核爆発のイメージ映像を見て震え上がった身としては、本作のプロダクションデザインやメイクアップ技術のクオリティと、精細なIMAXカメラで取られた被爆者の映像が仮に実現していたとして、直視すら難しいものになっていたと感じる。

しかし、オッペンハイマーの核開発のシークエンスが完結した後に続く、ストローズとオッペンハイマーの公聴会のシークエンスの構成が原爆を投下したという事実を蔑ろにされた気分になった。

オッペンハイマーという1人の人間、さらに当時のアメリカの時勢を広く映画として届けるためには有効で、映像表現の可能性に賭けたとも言えのではないか。想像力が欠けた故に推し進めてしまったマンハッタン計画のオッペンハイマーと、想像の力で戦うノーランが相対的なポジションとしても感じられる。

劇中でジーン・タトロックの自死の報せを訊いて打ちひしがれるオッペンハイマーにキティが投げかける「犯した罪への同情を欲しがるな」というセリフが最も印象的だった。それは、原子力爆弾を開発したこととも繋がるし、キティには最もノーラン自身を感じるキャラクターとして存在している。

天才的な科学者である前に、正しい倫理観、自制ができる強い1人の人間として生きることがどれほど難しいことなのかとも逡巡する。トリニティ実験のシークエンスでは、感情の持っていきようが本当に難しく、出どころの分からない正体不明の涙が出てきた。日本人としての悔しさなのか悲しさなのか、言葉にできないカオテイックな感情が立ち上がった。
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