Runa

オッペンハイマーのRunaのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.5
視聴ではなく体験であったと
そう思える映画は良い映画だと私は思う。
オッペンハイマーはそういう映画だった。
不思議な体験だった。180分は瞬きの間。

何でもないシーンで涙が出た。
スクリーンの中は拍手喝采なのに、
悲しみが止まらなくなる。胸が痛む。
自分だけでなく観客の多くがそうであった。
それは恐らく悲しみとは少し違って、
矜持なのだと後から思った。
どんなに頭で理解はしても
自国の破滅を会議されるシーンや、
爆弾投下が成功して喜ぶ様を見て
無反応ではいられなかった。

誰が悪いとは思わないしわかりもしない。
視点を変えれば悪は変わる。
ただわかった気になるつもりもない。
私達からすれば、ひとえにこの映画は痛みなのだから。

それにしても映像美は言わずもがな、
音もノーラン節が効いており
インターステラーを彷彿させる重厚さと迫力。
…隣の子がずっと耳を塞いでいて心配だった。
また、広大な大地を撮らせたら一番だなとつくづく思う。

脚本もまこと細やか。
非直線はノーランのお家芸だけれど、今までで一番素直に入ってきた。
アインシュタインの初登場の表現で唸ってしまった。
観客には相対性理論のワードでほのめかし
その後帽子を被る後ろ姿で何者かは明かさず
と、思う間に風が帽子を飛ばしその特徴的な白髪が現れ確信に変わる。
なんとおしゃれな認識誘導。こにくい。

オッペンハイマーを成功者とも没落者とも描かず
見るものに判断を委ねる形が良かった。
(これは裁判ではなく…)
原爆の父と呼ばれ
間接的に何万いや何億の人生に影響をもたらした彼がたった1人の愛人の死で取り乱す様は、
彼も1人の人間なのだと思い出させ、
そんな1人の行動が巻き起こす、止まらないサイコロの恐ろしさをまざまざと感じた。


ノーラン監督はインタビューでこう話している。
「知識の危険さとは、知識が知識ではなくなること。一旦明るみに出れば誰も時計を巻き戻すことはできない。」


今ここに生きる者として、この映画で描かれたこと、そしてそれを観て何かを思い生きること
その間も不可逆な時間は流れる。

この映画は私たちさえも物語の一員であり、決して無関係ではないと示した。
私たちも彼と同じく皆、
何かの父であり母であるのかもしれないのだから。
Runa

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