こじ

オッペンハイマーのこじのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
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原爆の父オッペンハイマーの半生。
伝記でテーマも重いけどやっぱり面白い映画になるんだなぁ…
話が難解というよりは字幕が難解だった
キリアンマーフィーおじいちゃんが一瞬登場。

オッペンハイマーの半生、オッペンハイマーの聴聞会、ストローズの公聴会、これらのシーンが行き来する。
聴聞会と公聴会って似たようなものかと思ってたけど全然違った。オッペンハイマーの失脚を狙って聴聞会を画策したストローズが自身の公聴会で企みを暴露され商務長官就任を拒否されるのもまた皮肉…(劇中皮肉な展開が多い)

手に負えない、扱いきれない、大きすぎる、小さすぎる、目に見えない、核や超自然的な力に対する恐怖。不安定な精神、過ち、偉業、コントロール不能な力、焦り。これらを感じ続ける3時間。オッペンハイマーの主観が入らないストローズサイドでは心が休まるくらいだったが、不思議とあっという間の3時間だった。





被爆の実態を描かずオッペンハイマー主観の筋の通った映画にしたわけだから、被爆者や彼らに近しい人々の気持ちに寄り添う映画というわけではないので、「嫌な気持ちになった。被爆の実態は伝わらない。」という日本人がいてもおかしくない。
バーベンハイマーとか、会議で標的を京都から外すシーンで米国では笑いが起こったとかいう話題には、ただ日本に生まれただけの私でも不快になる。

核を開発した科学者たち、使うのを決めた政治家たちが英雄として扱われたことは描くが、決して英雄的には描かず、むしろ欠点もある人間として描いた。そもそも核兵器なんかを作り扱うに十分な素質などあるの?と問うているよう。
京都のシーンには笑いをとる意図でなく、むしろ作り手の冷ややかな眼差しを感じる。何万(結果的に数十万)もの殺人がこんな小さな部屋でこんな会議で決められた…

これを笑う感性はやはり核への姿勢そのものなんだろう。核で戦争を終わらせた英雄。映画ではシニカルに描かれる考えだ。
被爆の実態は学校教育や報道なんかでもっと伝えるべきだったろうと思った。恥ずかしいことに、アメリカで被爆の実態を伝えることがタブー視されていたなんて、この映画を観て色々ググって初めて知った。
この映画が終わる頃、繰り返し映し出される雨粒の波紋が自分の中でも意味を持ち始める頃、京都のシーンで笑った人たちは考えるのかな。核で世界を終わらせる死神だったと。
…考えないか。
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