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ゴヤの名画と優しい泥棒のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

ゴヤの名画と優しい泥棒(2020年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

1961年、ロンドン・ナショナル・ギャラリーからゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれた。事件の犯人は60歳のケンプトン・バントン。長年連れ添った妻とやさしい息子とアパートで年金暮らしをするケンプトンは、TVで孤独を紛らしている高齢者たちの生活を少しでも楽にしようと、盗んだ絵画の身代金で公共放送(BBC)の受信料を肩代わりしようと企てた…。

…と、書くと老練な怪盗紳士か義賊の計画犯罪をイメージするかもしれないが、本作の泥棒はそこら辺の「お爺さん」。
実際に起こったゴヤの名画盗難事件の知られざる真相を描いた実話ベースのコメディドラマの佳作。

主人公のケンプトンは、妻と息子と慎ましい生活をしている庶民(労働階級)。
だが、思い立つと行動せずにはいられない。
世の矛盾を訴えるために社会派の戯曲を書いてみたり、「高齢者の孤独を癒すのはTVだ!年金生活の老人や貧しい人からBBCの受信料を徴収するのはおかしい!」と街頭演説したりする。

ケンプトンのキャラクターは、ケン・ローチ監督作「わたしはダニエル・ブレイク」の弱者のために奮闘する主人公をコミカルにした憎めない爺さんだ。

日本でも「NHKをぶっ壊す」と声高に叫ぶ政党があるが、「税金を絵画ではなく、貧しい人のために使え!」と明確に主張するケンプトンの方がマシである。

長年連れ添った妻のドロシーでなくとも、もう身近にいたら、さぞ鬱陶しいだろうし、恥ずかしいだろう。
彼の行動は筋が通っているのは分かるけれども、「そんなことより他にやることがあるでしょ!」と思うだろう。
それに腹を立てるドロシーの方に序盤は、同情してしまう。

そんなある日、政府が14万ポンド(現在の価値だと7億円を超えるらしい)も税金を払って、ゴヤの名画「ウイリントン公爵」を購入したニュースを知り、「そんなことに税金を使うのか?」とケンプトンは怒る。 

一方で、些細なことからタクシー会社をクビになり、次の務め先のパン工場も人種差別に反対したことから解雇される。
けれども、パン工場での一件は、間違いなくケンプトンが正しい。
休憩時間中にケンプトンは仲間たちとカードゲームで遊んでいたが、そこには自分の教育係であるパキスタン系の青年もいた。
現場のお偉いさんはその彼にだけ、働くように命ずる。
「休憩は誰にでも平等に与えられた時間であるはずだ」と、彼の休憩時間を不当に短くしようとする上司に穏やかに反論したケンプトンは、「永久に休憩だ」とあっさりとクビになる。
彼の「正義感」は正しいのだ、根は良い人なのだと分かるシーンだ。

無職になったケンプトンはやはり夢を叶えたいと、「あと1回だけ、ロンドンに行かせてほしい。それが終わったら真っ当な人間になるから」とドロシーと約束して、ロンドンへ戯曲を売り込みに行く。

しかし、出版社やTV曲からは素人は全く相手にされない。
ケンプトンが帰ってくると彼の部屋にはあの名画が。
名画盗難で世間は大騒ぎ。
これを世直しのチャンスと捉えたケンプトンは「名画を返還するかわりに高齢者のBBC受信料をタダにせよ」という脅迫状を新聞社に送る。

だが、警察は犯人の目星を付けられず、その上、ケンプトンの脅迫状も便乗犯の冗談だと相手にしない。
このままでは要求すら無視されることを危惧したケンプトンは自ら絵画を返却してしまう。
どう見ても妻のドロシーに家に名画があるとバレることを恐れたように見えるのが可笑しい。

当然、法廷にかけられることになるが、持ち前のウイットに富んだ受け答えで陪審員の心をつかんでいく。
最初は「もう絶対負けるな…」いう雰囲気がありありと伝わって来るけれども、ケンプトンが裁判で要求を伝えると、それが傍聴者に大ウケ。
彼の人柄も相まって笑いが起きるほど。

裁判長に「ここはコメディアンのオーディションではないのですよ」とまで言われるケンプトン。
「盗んだのではなく、話を聞いてもらうために、ちょっとだけ借りた」という主張に。

また、裁判の途中で意外なネタバラシ。
次男ジャッキーが母に「絵画は自分が盗んだ」と告白する。
父の言葉に感化され、政府を困らせてやろうとしたのだ。
外した額縁は隠し、その後すぐに父に相談していたというのが真相。
見るからに「お爺さん」のケンプトンが高いハシゴを登り、窓から侵入して絵画を盗むなんて変だと思ったら…息子も息子である。

真相を知ったドロシーは、夫の主張をちゃんと聞こうと、死んだ娘の墓参りの後に裁判所に行く。
いがみ合っていても「夫は決して悪人ではない」と信じる妻の決心が泣けてくる。

ケンプトンの誠実さを目の当たりにし、弁護士ジェレミーは粋な最終弁論をする。
「我々は隣の家から借りた芝刈り機をしばしば返し忘れるものです。でも彼はちゃんと返しました。彼は良い隣人です。」
ちゃんと絵を返したんだから、罪に問わなくても良いじゃないか?という優しさに溢れた弁護である。

最終的には額縁窃盗についてだけ有罪、それ以外については無罪判決が下されるという温情ある判決だ。

ケンプトンの懲役は3ヶ月、額縁は見つからなかった。
ケンプトン出所から4年後、次男ジャッキーは罪の意識に苛まれ自首するが、「起訴するにはケンプトンを証言台に立たせなければいけない、すると世間が騒ぐので避けたい」という事情で不起訴となる。
またケンプトンのせいで世論が動くと国の不利益(政治不信に繋がる)と考えたのかもしれないが。

ラストにテロップで「BBC放送は2000年に、高齢者の受信料を無料にする。ただ、ケンプトンの戯曲は1つも採用されなかった。」と出る。
すぐにケンプトンの要求は通らず、あれだけ世間が騒いだのに彼の戯曲は注目されなかったというのは実話らしい現実の厳しさがある。

結局は無事に妻の元に戻れたケンプトン。
国としても温情溢れる判決で国民の信頼を得ることができてwin-winの結果といったところか?
だが、たった1人のお爺さんが国を相手取った叫びは、やはり痛快である。
紳士の国らしい粋なユーモアに溢れた作品である。
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