【縮図】
※カンヌ国際批評家連盟賞
この校庭を中心に学校で起きるイジメは何を意味しているのだろうか。
日本の小学校でもあり得そうなことのように思えるが、それを社会問題としてダイレクトに伝えようとしているのであれば、かなりベタだ。
そんな作品に、カンヌが国際批評家連盟賞を贈ったり、アカデミー賞が国際長編作品賞にノミネートしないだろう。
ここは、つまり、この校庭や学校は世界の縮図なのだ。
僕たちの世界は如何にも幼稚だと言わんばかりだ。
身体の大きな子はケンカをするものよ。
仮にそうだとしても、そんなこと容認されるようなことではない。
監視員はしょうもないことに目配せするくせに、暴力には目を向けない。
イジメの標的になるノラとアベルの父親は無職だ。
世界でも弱い国は搾取されがちだ。
力の強い国にだ。
身体の大きな子はケンカをするもの…とは、国単位に置き換えても同様だ。
そして、暴力は連鎖する。
何が暴力を止められるのか。
抱きしめるだけで止まるとは誰も思っていないだろう。
だからこそ考え続けなくてはならない。