洗脳、管理社会への警鐘。ユートピアとはつまり常に誰かにとってのディストピアであることを教えるSF的ギミックに、伏線回収の妙。
愚かな人間性を憎み、楽園を夢見て空ばかり眺めていた少年時代のきみにも見せ>>続きを読む
奪い奪われの残酷でシンプルなこの世の中で、生きることに意味を求め、しちめんどうな御託を並べ立て逡巡する男の子の永遠にも続く苦しみ。過去に十字架を背負い、未来に絶望を募らせる煉獄で、ただひとり母の残した>>続きを読む
あの『ジェーン・ドウの解剖』のアンドレ・ウーヴレダル監督作。
北欧はノルウェーの地に物語る、雷神“ソー”のオリジン。クローズアップに怒りと悲しみの暴走を捉えれば、切ない愛の逃避行にアンチヒーローの爆誕>>続きを読む
『スーパー!』を思い起こすポップグロテスク。見下げられたポンコツ軍団の特攻大作戦がガンの露悪趣味と相性抜群であることは言わずもがな、ハーレイ・クインの気狂いピエロとしての魅力を最大限に発揮させる手腕も>>続きを読む
『SPUN スパン』のヨナス・アカーランド監督作。
悪魔的な轟音に差し込まれるサブリミナル的パラノイド。自殺に他殺、生と死のグロテスクを煽る。セックス描写はまだしも殺傷シーンにモザイクがかかるなんても>>続きを読む
デジタルネイティブの情報処理能力に圧倒される。呼応するように膨大な情報量より二転三転するストーリー、伏線回収までも見事な上質サスペンスを展開する。
発明的な前作より質、量ともにさらなるバージョンアップ>>続きを読む
人生最悪の一日を経て、今日という人生最良の一日を迎える。そのすべてを愛おしく、誇らしく思う。共に生きる、そして共に生きたすべての人との思い出に。乾杯!
このレビューはネタバレを含みます
キッズムービー的なほのぼのサプライズを期待しては、まさかの胸糞ホラーへのツイストに驚く。暗黒版ホームアローン。
『ヴィジット』の姉弟、オリビア・デヨング&エド・オクセンボールドの再共演も嬉しい。
家族と友人、古い友に新しい友、そして今はいなくとも心の中で生き続けるあなたに。メリークリスマス。
ヴェノムのうじうじとは大違い、失恋の悲劇より華麗なる覚醒を果たすハーレイ・クインの姿に、自立を勝ち取るガールズエンパワーメントへの連帯を重ねる。道化はどっちだ。
このレビューはネタバレを含みます
突難を二度も患った身としては、全く他人事ではない失聴の危機を追体験する。
耳鳴りに始まり、水中に突き落とされたようなこもった世界に、実はノイズで溢れる難聴の症状を音響効果にて再現する。まさにあの数週間>>続きを読む
ロネ・シェルフィグの過去作で言えば『幸せになるためのイタリア語講座』に通じる、弱き者たちの繋がりに救いを見出す群像劇。
誰もが手と手を差し伸べあって生きていくべき隣人愛を謳う。しかし、そんな真っ当なド>>続きを読む
すかし芸がことごとくハマる。ドメスティックなはずの笑いのツボを共有しうる日仏の親和性。恐怖と笑いが紙一重ならば、エログロを許容してきた両者の歴史を鑑みるに、今作がハリウッドリメイクではなかった必然性が>>続きを読む
ドレスを纏う乙女の恍惚。
恋に恋するときめきのような。
いつまでも美しくありたい、その純粋な美への欲望。誰のためでもなく、むしろ私が私であるために着飾る“実存的”な、オシャレがあてどない人生の原動力>>続きを読む
150分の長尺の大半が映画的アクションとは分離した、説明のための説明描写であり、見ることよりも理解することに労を割かれるノーラン節がここに極まれる。逆再生というプリミティブなギミックも有機的に機能して>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
エコーチェンバーに陰謀論と蔓延るこのご時世に、非科学的なカルトを結果的に肯定しかねないシャマランの迂闊さ。世界の命運を“物語”に託し過ぎることの暗部がここにきて露呈する。
『新感染』の衝撃から4年。ゾンビで埋め尽くされた韓国は仁川で、さながらマッドマックスのようなカーチェイスが繰り広げられる。主人公が一般市民より武装した元軍人となれば、アクション過多にバイオハザート化す>>続きを読む
未知との遭遇×ジョーズといったスピルバーグ的スペクタクルを表層に、深層に映画についての映画を語る。
カメラを向ける暴力性、本質的に見世物である映画の残酷性を、らしく“幻の黒人スター”を背景に、寓意に>>続きを読む
“FPS”なる主観映像の、無料のPCホラーのようなクオリティに気を失いそうになるが、恒松祐里を一人称とする第二部からが本章。画面映えするヒロインと、半ばコメディと化す小気味よさがB級らしく救われる思い>>続きを読む
自らの病状を語る子どもたちの明晰なこと。すでに運命を受け入れたかのような達観した面持ち。人より早く命と向き合わざるを得なかったばかり、人より少し早熟でなければならなかっただけ。それがすなわち不幸とは限>>続きを読む
ガキの悪ふざけがもはや命がけのスタントに。年齢を重ねる分だけ純度を増すバカの境地。いつまでもウンコチ◯チ◯で笑い転げるおっさんの醜態に呆れつつも、心のどこかで羨ましくもある。
もろ“Lust For Life”なフレンチロックのビートがラフマニノフ、ピアノ協奏曲第2番のクライマックスへと転ずる。トレスポオマージュの逃走劇にはじまる不良少年の街角ピアノ。
好きなことを見つけ>>続きを読む
「世界は素晴らしい」
大人が子どもたちに示すべきたった一つのメッセージ。
“小さき者の運命が世界の未来を決める”
北欧の雪景色に映えるパステルカラー、ドリーミーなSEが断続的に鳴る浮遊感。舌ったらずなフィンランド語が可愛らしいオンネリとアンネリのおとぎ話は続く。でも、ちょ>>続きを読む
娼婦に聖女を、ミューズとしての女優を重ねるロジカルな女性史観が、アンナ・カリーナの息遣いにダンス、さらには大粒の涙を流す肉体より魂を見つめるカメラのクローズアップに結実する。あるいはゴダールのおのろけ>>続きを読む
人生は悲劇である。との、諦観に宿るコメディの強かさ。その限りにおいては、霊と交信するなどと馬鹿げたスピリチュアルも、一種の救済として機能するアクロバティック。
夜明けと共に希望の光が差し込むラストシ>>続きを読む
“恐怖は美なり美は恐怖なり”
厭世的に故郷を彷徨う『鬼火』のそれとはまるで対照的に、夏至は太陽の沈まないパリの街を散歩でもするように、死への恐怖とは生への欲望を、新たな出逢いに希望を見出す逞しさ、美>>続きを読む
すべてはクライマックスの “種あかし”に集束する、仁義。
ソフトハットにトレンチコートを纏ったベルモンドの出で立ちが、『サムライ』でのアラン・ドロンと酷似する。が、個人的には断然、後者推し。フレンチ>>続きを読む
「すべての葉を失っていくようだ」
自分が自分でなくなる感覚。娘の顔すらわからなくなる悲しみ。そんな悲しみさえ忘却の彼方へ消えていく無情──死よりも先に無が訪れる病のどうしようもなさ。
時間とはつまり>>続きを読む
恐竜をまるでペット扱いし、家畜化し、あるいは逆にモンスター化し、畏怖の念を捨て去ったシリーズの末路。
スリルも浪漫も失われ。とってつけた“共存”のメッセージも深掘りされることはなく。脈絡なく乱発され>>続きを読む
壁と海に囲まれた“天井なき監獄”、ガザを一軒の閉ざされた美容室に見立て、サイレンや銃撃戦の轟音が鳴り響く、日常が戦時下である彼女たちのリアル、そのカオスと閉塞感を伝える群像劇。
今作から8年後の現在>>続きを読む
愛に破れたハートブレイクマンの七転八倒をスラップスティックに描く。喪失より怒りを経て、受容に至るまでの自問自答、自己陶酔的な葛藤を別人格に表出させ、痛々しいラブストーリーに訴える。ロマンスは死せず。『>>続きを読む
目を閉じれば暗闇の中、静寂を切り裂き、サブリミナルに明滅する悪夢のフラッシュバック。逃れるように甘美なる明晰夢に堕ち、ヒロイックな誇大妄想を浮かべる──タイムリープをくりかえし、命を賭して少女を救う。>>続きを読む
POV作品としては稀有なほどのキャストのカリスマでもって牽引するシリーズにあって、工藤、市川の不在を補うべく、カメラマン田代が奮闘を見せるも力及ばずといったところ。宇野と白石の虚実をうつろう迷コンビも>>続きを読む
琵琶の旋律に虫の声、鳥のさえずりが響き合う静謐で流麗な映像美に反し、戦闘機の轟音やよもや怪談のそれのような不穏で不可解な劇伴との不協和音は、対位法による重層的なテクスチャ、あるいは『ミツバチのささやき>>続きを読む
夢ならば覚める。悪夢とて終わる。それが過去に起因する記憶の“アーカイヴ”に過ぎないとしたら。現在、未来へと絶え間なく押し寄せる時間の波に埋もれ、その喜びや悲しみさえもやがては薄らいでいく人間の無常。片>>続きを読む