90年代初頭の東京らしさ?
生まれてはいたものの経験はしていない時代のこと、しかしいくつかの作品を通じて、この頃の東京を捉える同時代的な視点の共通性を知ることがなんとなくできる。それは、アジアの都市>>続きを読む
山路での雷雨という激しい自然現象にエロスの高まりが連動する。絶頂に達するまでの道程はジグザグで、妙なぬかるみにハマったり村の祝祭で踊ったりしながら、止まって走り、止まっては走り、ようやく峠に辿り着く。>>続きを読む
撮影や台詞回しが良いと思うだけに、音響と俳優の演出がひどくお粗末でガッカリしてしまう。設定上は近未来らしいけど、自殺者が急増した20世紀末らしい作品だなと思う。自殺をビデオで撮影する、という設定や演>>続きを読む
n度目の鑑賞。
ものすごい久々に映画館で観た。この作品はデジタルリマスター版の馬場訳とロシア映画社の字幕で、イヴァンのキャラクター解釈がだいぶ違う。今回、ユーロスペースで上映されていた後者のイヴァ>>続きを読む
ちょっと耐えがたいほどの下品さ。ポップな下ネタだと許容されているとしたら受け手側の問題だろう。ひねりのない直接的な表現がSNSに見られる欲望の垂れ流しと直通しているだろうことは、ミーム風の映像表現から>>続きを読む
映画の俳優にとってきわめて重要であるはずの表情をほとんど動かさずに人間の心理、すなわち外面ではわからない機微を長い時間をかけて示そうというのがブレッソンの透徹とした野心であると思う。
では、表情に>>続きを読む
足への偏愛はさておき、ドラマの作りや撮影の技法にかんしてだいぶ単調で退屈だというのが率直な印象。
車内とパーティ会場での会話の場面がやたらと多い、というか映画の大半を占める。とにかくお喋りを続けるが、映像が見せてくれるものはほとんどない。美術館で一枚の絵の前に二時間ずっと立っているようなものだ。冒>>続きを読む
オープニングでのスローモーションのショットに様々な絵画作品へのオマージュが見られるなか、絵画そのものが映されるのがブリューゲル『雪中の狩人』で、これはブリューゲルその人ではなくおそらくタルコフスキー>>続きを読む
知的にお茶目なリヴェット像がここに結ばれていた。忙しなく動く内省的な視線と不意にこぼれる笑顔を見せるリヴェットの姿に、彼とダネー、ドゥニのあいだにある友愛が表れている。二人の語りにそっと同席している>>続きを読む
久々に鑑賞。以前はちゃんと見通したはずだけど、さすがにもう流し見でいいかなと思う。特に物語があるわけではないのに、こういう撮影と編集をやり遂げるギャスパー・ノエの執念深さというかしつこさに感服する。そ>>続きを読む
若く瑞々しい美少女に目を奪われてしまうのが非モテの鈍臭い男ではなくて、婚約もしている口説き上手のモテ男というのが本作の面白さ。しかも、何か深い関係にもありそうな小説家の女性の仕掛けるゲームに参加する>>続きを読む
この短さで三人の人間関係や性格を表現する若きロメールの巧さたるや。ゴダールが室内にただ立っているだけでくすりと笑える。
しょうもない男のことならギャスパー・ノエ。ぐらんぐらんと動いていたカメラが中盤に静止してじっくりとレイプシーンを収めることの残酷さたるや。
セックスは言葉じゃなくて行為だとは、それこそ文の意味は男>>続きを読む
発砲と撮影(shoot)を掛けてるんだとか何とか。必死にファルスをおっ立てるけど発射できずにやきもき。社会から見捨てられたんなら復讐してやる!……そんなこんなで、こっちには捨てるものが何もないんだぞと>>続きを読む
映画の画角が写真の枠となり、牛腸の視線はカメラのショットとなって保存される。とても寂しい映画だ。牛腸茂雄のことを詳しく知っているわけではない。それでも、その写真家としての鋭い眼差しと人間としての素朴な>>続きを読む
妻を疑う夫のパラノイア。人間の錯乱状態をそのまま映像に翻訳するなら本作が一つの正解、模範解答になるだろうと思う。なにせ主人公の錯乱を捉える視点がカメラを持つ男としてしっかりと表象されている。
序盤に何>>続きを読む
まあステキなロケーションであるのは間違いない。無用なフェードアウトに映像制作始めたてらしさを感じて微笑ましくなる。
論文調に構成されたタルコフスキーについての知的なドキュメンタリー。タルコフスキーの詩的な静謐さを強調したソクーロフのそれとは異なり、こちらはナレーションも饒舌で、素直に情報を整理したわかりやすい構成>>続きを読む