今年の3月にシネマヴェーラで観てから約4カ月後、あらためてYouTubeで鑑賞(ありがとうモスフィルム…)。
車に愛情がまったくないゆえに迫力のあるカーチェイスだけが見所。
ちょこちょこ変なサウンドエフェクトが入っているけど、音響演出は正気だったのだろうか。
途中で断念したのでスコアはつけられませんが、面白く、ないです。
監視カメラのような静物ショット、不穏に動くクレーンショット、殺人鬼に随伴する近接ショットが次々に入れ替わりながら、殺人の一部始終にほとんど省略なしに付き合うことになる。観ている側も相当に怠いが、この>>続きを読む
これがヘルツォークの見ている東京なのか……?
エキゾチシズム的な偏見の目線は多分に混ざっているけど、ゲリラ撮影ゆえに映り込むただの素人たちのおかげもあってか、とても気色の悪い東京のカリカチュア的ド>>続きを読む
わたしたちはただ存在しているだけで、呼吸しているだけで大地に汚れを押しつけているわけで、その意味で、人類みな等しく有罪である。この罪を、異常な寛容さを備えるナウシカがすべて受け止めてくれていたように>>続きを読む
小学生のとき、寝る前に枕元で本を開く習慣があり、そこで読んだなかでも最も夢中になっていた物語のひとつが『ゲド戦記』シリーズだった。だのに、ちょうど同じ時期に公開されていた本作は観たことがなく、これま>>続きを読む
工場ドキュメンタリー。反復する機械の作動音が心地よく、それに合わせて機械的に働きながらちょこちょこ休みをとったり不規則な動きをしたりする労働者の姿になぜか切なくなる。映画を見る原初的な喜びを感じさせ>>続きを読む
現実に陰鬱としていた後期ソ連、それも「雪どけ」と呼ばれたつかの間の明るい時代から次第に澱んでゆき自由が制限されていった、そのちょうど転換後もっとも凍てついていた頃である71年のレニングラードが舞台と>>続きを読む
綿密に練られた構造なのはよくわかるしそれはそれで感心するのだけど、うまいだけで面白くないという印象で終わってしまった。
自由自在に事物や人物の縮尺を操るさまは、シュヴァンクマイエルの『アリス』に匹敵、いや凌駕するかもしれない。とくにクライマックスの奇怪な映像には呆気にとられてしまう。カメラワークやモンタージュもかなり>>続きを読む
金曜ロードショーのおかげで、生涯通算10回目ほどの鑑賞。何度みても落雷でタイムスリップする場面のサスペンスは良くて(もちろん「思い出補正」ゆえのワクワクでもあるのだろうけど)、結果が分かっていても興>>続きを読む
『ロングデイズ・ジャーニー』の習作。前半はともかく後半の長回しは技術的に難がある。安いジンバルでも使ってるんだろか。低予算でタルコフスキーの構図を本気で真似しようとするとこうなるという失敗ショット例>>続きを読む
すべては予告されていた。つまり、冒頭に言われていたとおり、アンナはハニートラップしか使えず、そして使いこなした。CIAもKGBも、男も女も、みなアンナの美貌に打ちのめされ、骨抜きにされてしまう。一瞬で>>続きを読む
黒沢清のシネフィルらしい自己言及的なジャパニーズ・ホラー。誰でもすぐにわかるように「回」はスクリーン内のスクリーン(窓、ディスプレイ等々)という入れ子構造を指している。ちょっと過剰な演出にも思えたけ>>続きを読む
職人芸的な撮影とセットの配置、細かい身振りの連鎖が小気味よく、凡庸な醜さがでしゃばることなくマンションの一室に収められる。そんな家族に向かい合わされる食事の場面がやはり印象に残る。
暴力がエロスと直截に結びつき、性的な男女関係においてあからさまに表現される。暴力が性的なものの見方によって中和されているのだ。森本レオが頭をかち割られた際も、その暴力性よりもぬめりとした性愛が強調さ>>続きを読む
こういう設定のフェミニズム映画に、男性側への配慮が欠けているという批判は有効ではないだろう。ただ、いわゆる「男らしさ」「女らしさ」が誇張されすぎで、物語がどうこうよりも教育的なステレオタイプの見本市>>続きを読む
「仮設の映画館」で鑑賞。
カメラを向けられながら、あれだけ私的な話を物語ってくれるような関係を、監督が4人の登場人物たちと結んでいることに何よりもまず感動する。その親密さは、映画のクライマックス、>>続きを読む
金曜ロードショーで放送されたことで、決して見ることはないと思っていた本作をつい鑑賞し、低評価を付けざるをえなくなったことがなによりも悲しい。表情豊かなピカチュウへの演出の力の入れように免じて、最低点>>続きを読む
ネクロリアリズムの創始者、エフゲニー・ユフィートの代表作の一つ。
なんとも評価しがたい奇妙な映画。自分を殺そうとする(?)猟奇的なお爺ちゃんに対して「お爺ちゃん、もう一度キスして」と言うところ、父>>続きを読む
かなり間接的にではあれど、本作のテーマは戦争である、と言っていいだろう。より厳密にいえば、戦争を継承することである。これはソ連・ロシア映画にはおなじみのテーマで、実際、本作の監督の父グレゴリー・チュ>>続きを読む
「生は死よりも怖ろしい」!
それこそ怖ろしい箴言である。同様に「偉大なる平和は死にこそある」という文言も、本作がロシア革命前夜に撮影されたことに鑑みて、なにかを示唆しているのではないかと勘繰ってしま>>続きを読む
ほとんどすべてのショットが自然の、とりわけ氷と水のダイナミックな質的感覚を備えていて圧倒される。とりわけ序盤から中盤にかけて、どのショットも画になる場面を切り取っていて、ドキュメンタリー映画としての>>続きを読む
いろいろな要素が散りばめられつつまとまらないまま、いい感じにオシャレな音楽を添えて、なんとなくで大切な人の死を二回も短期間で乗り越えるポジティブさを備えた超人役のエル・ファニングを観る映画。
コント、大手の取引先からむちゃくちゃな発注を受ける中小企業のみなさん。助っ人でフリーの忍者がきたとおもったら情報を盗むスパイだったでござるの巻。
冒頭での映画内映画や、望遠レンズに欲望の視線を準えるなど、初期若松映画のなかでもとくにテクニカルなプロットが素晴らしく光っている。セックスにまつわる思弁的な長台詞はおそらく足立正生によるものだろう。>>続きを読む
あまりにも傑作。
ヴェーニャは聖書だったけど、自立しようとしてなんらかの他者の言葉に頼るっていうのはけっこう普遍的なふるまいではなかろうか。引用する文言がヴェーニャから上滑りしていく感じは、自分>>続きを読む
一見すると不器用な男女がいろいろあって最後に互いに向き直る、というよくある恋愛ドラマに思えるけど、実際には、相手を傷つけるかもしれないと「真剣な」付き合いをする他者と向き合えない臆病な男が自分のダメ>>続きを読む
1969年前後を挟む時期、学生運動真っ盛りの仙台が舞台ということで、否応なくこの時代の風に吹かれて登場人物たちはささやかな紛争を立ち上げてはいるものの、どこか熱狂にまでは至らない日々がすばやく淡々と>>続きを読む
コロナ禍のなか、ミニシアターを応援するために始まった若松プロの超絶太っ腹な企画のおかげで現在(2020/05/03)、若松孝二監督および製作作品が多数オンデマンド配信されている。そのうちには未ソフト化>>続きを読む
ソ連随一のスラップスティックの巨匠、レオニード・ガイダイ監督作品ということで、ドタバタ喜劇を象徴するようにあまりにも(良くも悪くも)暴力的なモンタージュによって、文字通り言わずもがなの喜劇のプロット>>続きを読む
〇〇(任意の「エキゾチック」な都市名)なら仕方ない第二弾。はちゃめちゃぶりにグロテスクさが混ざって、まあ強引さは笑えるんだけど、冒頭で示されたような4人のあいだの微妙な不和まで強引に解決されてしまった>>続きを読む
依存症というのは恐ろしい病で、その対象となるものをどれほど摂取しようとも、どれほど経験しようとも完全に満たされる時間が訪れることはない。なにか埋め合わせるものがどうしても必要なのだが、どうすることも>>続きを読む
エンドロールに合わせて提示される猥雑で楽しそうな写真群に、この映画の素晴らしさは文字どおり「凝縮」されていると言ってよい。
あの夜に一体なにが起きたのか?--物語中つねにこの問題は宙吊りで、無事に>>続きを読む