flyoneさんの映画レビュー・感想・評価 - 3ページ目

flyone

flyone

映画(1087)
ドラマ(0)
アニメ(0)
  • List view
  • Grid view

青春がいっぱい(1966年製作の映画)

-

簡潔できびきびとした筋運びや大胆な省略(長期休暇のことは台詞で処理するのみだし、ブラスバンドの勝利も画面の外の出来事にすぎぬ)といった手捌きは、紛れもなくルピノの手によるものだ。ロザリンド・ラッセルく>>続きを読む

ラブレス(1981年製作の映画)

-

どこかにたどり着くこともない、ほとんど無為な時間。そしてそれを唐突に断つ銃弾。ラブレスな世界で孤独に漂流する男女の肖像は、ある時代が要請したものなのか。

追跡(1947年製作の映画)

-

何年振りかもわからぬが再見。
西部劇の皮を被った、当時の犯罪映画を思わせる画面のルックとシナリオだが、ウォルシュの西部劇は、『暗黒の命令』からこの『追跡』を経て『ながれ者』に至るまで、母が物語の上で強
>>続きを読む

バワリイ(1933年製作の映画)

-

帽子も煙草も道で売られている野菜らしきものも投げられるし、どうやらメロンも石も投げられたらしい。投げることが喚起する運動感が、この作品を楽しいものにしていることは間違いない。
いっぽうでホモソーシャル
>>続きを読む

阿片戦争(1942年製作の映画)

-

日本人など誰も出てこないというのに、誰もが日本語を話す、アメリカ映画的出鱈目さ。マキノは日本という国民国家に生きたアメリカ映画作家といってさえよいかもしれぬ。

地に堕ちた愛 完全版(1984年製作の映画)

-

ひたすら繰り返される演劇の準備。室内で人物がどのように動くか、それをどのように捉えるかについての研究的作品のように思った。

パリでかくれんぼ(1995年製作の映画)

-

リヴェットの手にかかると、映画に魔法がかかる。都市はまるで異世界のようにマジカルな表情を獲得し、男女の美しく振り付けられた身振りが目も眩むすばらしさだ。

男の魂(1935年製作の映画)

-

高所が「ウォルシュ的危機」を喚起するとすれば、専ら地下を舞台とする『男の魂』が悲劇として機能するとは思えず、じっさい、この作品は、友情と、恋慕と、溌剌とした身振りの見事さに支えられた楽しい映画だ。

恐怖の背景(1943年製作の映画)

-

『恐怖の背景』を世界でも指折りの作品と信じてやまない私ではあるが、やっとスクリーンで観ることができた!この簡潔さ、この速さ!

大雷雨(1941年製作の映画)

-

ウォルシュの映画において、高所に登ることはあまりに危険な振舞いといわざるを得ない。『復活』や『ハイ・シエラ』といった作品における高所が死と結びついていたことを知る我々は、『大雷雨』における作業者が電柱>>続きを読む

金髪乱れて(1932年製作の映画)

-

ウォルシュの映画を観るとき、人は誰も物語られる何事かに興味を示したりはしない。むしろ重要なのは、見事に振り付けられたダンスを見るように見るべき、仕草や身振りの見事さ、それを簡潔で適確なショットで捉える>>続きを読む

進めオリンピック(1932年製作の映画)

-

ここには正しく計測されたギャグなどありはしない。もはやシュールでさえあるアイデアのつるべうちは、身体的コメディの撮り手の不在を感じさせぬでもないが、この史上最もナンセンスなコメディがバスター・キートン>>続きを読む

マルクス兄弟 オペラは踊る/マルクス兄弟オペラの夜(1935年製作の映画)

-

『オペラは踊る』のマルクス・ブラザーズは、目の前のものを破壊して回らねば気のすまぬ、出鱈目で迷惑極まりない機関銃のようだ。この機関銃たちの銃弾は、もっぱら自らの身体であり、その騒々しさたるや並大抵のも>>続きを読む

美と殺戮のすべて(2022年製作の映画)

-

「オピオイド鎮痛薬」をめぐる事態と闘うナン・ゴールディンと彼女の半生、そして代表作『性的依存のバラード』成立に至る経緯が語られる。
ナンは「物語化」への抵抗とそれに対する「事実の記録」としての写真に触
>>続きを読む

MONTEREY POP モンタレー・ポップ(2017年製作の映画)

-

特に物語があるわけでもない。ここにはほとんど伝説のようなパフォーマンスが、ある時代の熱とともに刻まれているにすぎぬ。だがそれは紛れもなく必見だ。

静かに燃えて(2022年製作の映画)

-

落ち着き払ったショットの連鎖は繊細な眼差しを捉えて驚くべきしかけを予感させる。とはいえ、そのしかけがすばらしいのではない。そうではなく、視線への演出ぶりの見事さ、そしてごく「普通」のショットの慎ましく>>続きを読む

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)

-

寡黙な少女が決して喜ばしい思いではなく、遠方の親類に預けられる。口数少ない少女がその親類と心を通わせることを、台詞でなくいかに表現するか。そのためには、同時にパンをほおばってみたり、一緒に料理の支度を>>続きを読む

ゴースト・トロピック(2019年製作の映画)

-

全体としてやや審美的すぎ、音の使い方もわざとらしさを感じた。世評ほどノれなかった。

ニックス・ムービー/水上の稲妻(1980年製作の映画)

-

映画における死は、単に不動であるのだが、この映画における死は、切羽詰まったものを感じざるをえない。じっさい、死が迫るニコラス・レイそのひとが被写体になっているのだから当たり前なのかも知れぬが、それだけ>>続きを読む

東への道(1920年製作の映画)

-

専らラストの「最後の瞬間の救出」における平行モンタージュがもてはやされるが、グリフィス的動物が微笑を誘い、リリアン・ギッシュのイノセントそのものといった表情や仕草は可愛らしく、ロングショットも尽くすば>>続きを読む

ゴールキーパーの不安(1971年製作の映画)

-

じんわりとスクリーンを満たす不穏な倦怠。それは、落ち着きのないとさえ思える男の、立ったり座ったり、手で掴んだり離したりする挙動という形で波立ち、いつ炸裂するとも知れぬ予感を漂わせる。

王冠の真珠(1937年製作の映画)

-

2時間に満たない時間の中で、「王冠の真珠」をめぐる歴史と散逸したみっつの真珠の捜索が語られる。驚くべき語りの速度は、途中ついていけなくなるかというほどに速い。ラストの「落ち」も含めて見事というほかない>>続きを読む

役者(1948年製作の映画)

-

ここではギトリの作品を特徴づけるまくし立てるようなナレーションはやや控えめで、楽屋での複数の人物による演技論というべきやり取りが繰り返される。ここに滲むのは、演じることの過酷さや厳しさといった事態であ>>続きを読む

とらんぷ譚(1936年製作の映画)

-

ギトリの作品で最もよく知られたひとつと思うし、私もDVDで鑑賞してもいるが、『幸運を!』や『役者』のような傑作に比べると、相対的にやや落ちるようにも思った。だが、冒頭の毒キノコのくだりからエンジン全開>>続きを読む

幸運を!(1935年製作の映画)

-

一見すると、さしたる野心めいたものは感じられぬありふれたコメディのように思われるかもしれぬ。だが、この作品は紛れもなく傑作であり、出鱈目でありつつ品があり、ジャクリーヌ・ドゥリュバックが溌剌とした魅力>>続きを読む

カントナックの財宝(1950年製作の映画)

-

思いがけず先祖の遺した財宝を手にした男爵が、自身の名を冠する町に住む人々に幸いを与えんとその財を使うことにする。
古風な価値観と気品に支えられているも、登場人物の身なりがナレーションに導かれて何の前触
>>続きを読む

ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争(2023年製作の映画)

-

オーソン・ウェルズの『偉大なるアンバーソン家の人々』が本来収まるべきフィルムを想像したり、今や「古典」と呼ばれもする巨匠たちのスチル写真から、その作品の全容を想像してみたりする行為を通じて、ことによっ>>続きを読む