増村保造は天才だ。若尾文子をどの角度からどう撮れば、どうやって照明を当てれば彼女が一番美しく見えるか知り尽している。
あまりにも上質で精緻な演出が施された画面は、時にノワールのような陰りとホラーのよう>>続きを読む
大好きな女優の一人である野添ひとみがあまりにも最高で映画的にどうだ、演出がどうだ、というのが全く分からない(冷静にこの映画を観られる方、是非感想を教えて下さい)。大真面目で頭が固く、ちょっぴり融通の利>>続きを読む
グリフィス由来の「女」と「銃」に、ロッセリーニの映画を観たゴダールが「車」と「男」を加わえた『デス・ロード』な映画。
数え切れない人々がフレームの中に入り(出逢い)、そしてフレーム外へと去って行く(別>>続きを読む
トリュフォーでここまで笑ったのは初めてかもしれない。ブラックコメディの傑作と思う。
『恋愛日記』で脚フェチの変態男(しかし、その性癖はトリュフォーそのものである)を演じていたシャルル・デネが害虫駆除員>>続きを読む
冒頭に映し出される「配役」に「小津かぁ……」と構えてしまったのだけど、観てる最中小津の作品を思い出すことは特になかった。強いて言うなら卓袱台と縁側、それから洗濯物が干してあることくらいかなぁ、とは思う>>続きを読む
傑作!増村の中でも相当好きな方。もしかすると増村ベストかもしれない。何せ、人が死なないし(いや、死んでも構わんのですけど、心中モノは苦手なのです)。
若尾文子、山本富士子、勝新、川口浩と大映オールスタ>>続きを読む
繭、ビニールシート、人の身体(!)、そしてラストの霧に至るまで「覆い隠すこと」の連鎖が映画を魅力あるものに仕立て上げていたと思う。
一方、対極的に演出されていたのが「覗き見ること」であり、「覆い隠すこ>>続きを読む
ジェシー・アイゼンバーグという俳優の顔立ちは何だか変わっていて面白いな、と以前から思っていた。特に目元の辺り。堀が深くて、時々影で目が隠れる。
「何を考えているかよく分からない、或いはどこを見ているの>>続きを読む
本作が撮られたのは今から70年以上も前だけれど、恐らく今の観客が観ても十分身に沁みる作品ではないだろうか。「結婚した子供たちが両親を引き取り一緒に暮らす(しかも、母と父は別々の子供によって引き取られ/>>続きを読む
本作の素晴らしいところは数多くある。例えば、視線のやり取りと丁寧なカット割りで魅せるドキドキの掏摸シーンや、女を巡って男二人がサイコロを使って勝負するシーンの頑固なまでのサイレント的演出、或いはファー>>続きを読む
なんて面白い映画なんだろうか。箒が飛んだり、火が付いたり、急にドアが閉まったり、車が空を飛んだり(!)、階段の手すりをすべり台みたいにして降りてみせたり……とてもじゃないけど、この映画にかけられた魔法>>続きを読む
高校生、或いは大学生は怖いもの知らずだ。目の前に壁があったとしても、軽々と難なく飛び越えてしまう。
大人になるにつれて、色々な制約やしがらみがついて回るようになる。「自由を手に入れるぞ!」と叫んでいた>>続きを読む
鏡という装置が世界を歪め、引き裂き、曇らせながらも、自分という人間と向き合わせてくれる……。数々の技巧を凝らした本作は、一見器用そうに思えるけれど、実はとても不器用な映画だと思う。どうしてかというと、>>続きを読む
嵐の夜の消え入りそうな蝋燭の火、糸がすぐ切れるミシン、表情を隠すお面、一枚も葉をつけていない木々等の見せ方の見事さもさることながら、原節子の艶っぽくも恐ろしい眼差しに幾度となく震え上がった。成瀬の映画>>続きを読む
この映画は「映画製作をする辛さと、その辛さが家族に与える影響を描いた」作品だ。どこにでもいる映画ファンの一人である自分は勿論、「映画製作」という部分に過剰に反応してしまったし、出来れば映画業界で働くこ>>続きを読む
病院という白く素っ気ない世界を抜け出し、音楽で彩られた世界を訪れたとき、病気を患ったエミリー・ブラウニングは恋をし、真っ白な肌がネオンに照らされ、鮮やかに、赤く染まっていく……。恐らくは「ポップ」で「>>続きを読む
何度も何度も扉を開け、そして閉めて夫は妻の部屋に行き、妻は夫の部屋へ行く。寝室が別だからといって二人の心が離れているわけではない。入念に調査をし、その成果を披露する口調がソックリであるように、二人は限>>続きを読む
馬がゾロゾロと画面を斜めに横切って始まり、人がこれまたゾロゾロと画面を横切って終る本作の世界は、限りなく豊かなように思われる。映画内の世界はつまるところフィクションでしかない訳だけど、「この世界はどこ>>続きを読む
ルビッチといえば「扉の開閉」なのだけど、本作は「視線劇」があまりにも素晴らしい。男女の決定的な出逢い(一目惚れと言っていいだろう)は、視線を交えることによって達成されるし、視線の混線によって思わぬトラ>>続きを読む
クリント・イーストウッドは自らの身体に傷をつけることによって映画を撮り上げてきた人である、と言われることがある。では、バスター・キートンはどうかというと、彼もまた自らを痛めつけることで笑いを産み出して>>続きを読む
全編に渡って夜のシーンが素晴らしい。影の使い方は古典ノワールを想起してしまうくらいお見事だし(と、いうか作品の展開もノワールによく見受けられる感じなのだけど)、赤い光が室内に差し込むショットも画面設計>>続きを読む
目を奪われるような美しい映像でもなければ、巧みな演出が施されている訳でもない。これぞ、というショットもないし、捻りの効いたストーリーでもない。この映画は、傑作と位置づけられるべき作品では決してない。>>続きを読む
リモザンは『TOKYO EYES』という「眼を見よ」と言わんばかりの映画を撮った人なのだけど、本作もまた同様に「眼」に意識が向いてしまう映画だった。ジュリー・デルピーが流した涙をどのように演出したか、>>続きを読む
この映画は、基本的に多くを語らない。それは140分越えがさほど珍しくない最近のハリウッド映画の中で本作の上映時間が112分という長さであることからして明らかなのだけれど(112分でも長い、100分以内>>続きを読む