「尖ったNHKみたいだ…」と、思いながら観ていると絶対に日本放送協会では流さない(意図がハッキリしている)カットの登場で少し安心した。
人混みに紛れて逃げれば良い状況で、当たり前のように妻の横にいるのんだくれ夫が良かった。そこまで幸せな未来は見えないけど、酔っ払ってつい、おしゃれ服を自慢しちゃうんだからまぁたぶん大丈夫なんだと思う。ゴ>>続きを読む
岸井ゆきののネイルが剥げてないのが良かったし、塗ってるシーンがないのも良かった。練習の時に外すのに、わざわざピアスをつけてジムに来てるのも良かった。岸井ゆきの以外だと、トレーナーがトイレットペーパーで>>続きを読む
あの端正な横顔と歩き方にまた出会えて嬉しい。明石さんのスニーカーがアップになるだけで嬉しい。もうとっくに空になったラムネを瓶を傾ける度に、カランと音がするのも嬉しい。そのあとにつられて風鈴が鳴るのも嬉>>続きを読む
一人+二人組が三人組になったり、別の一人+二人組になったりするのが良かった。常に誰かと組んでいたそうなやつが、一人を選択する夜があるのも良かった。そこそこ長い時間を共有した気になってたけど、実際ゆきず>>続きを読む
古本屋で働く瀬戸康史に、女子高生が手紙を渡す。何度も渡す。何度も渡した挙げ句、彼女から返事を書いてほしいと言われる。瀬戸康史は、彼女に返事を書こうとする。まず、彼女の名前を書く。そのときにハッとする。>>続きを読む
気まずいお酒の席から離れたくなったとき、もしも冬ならジャケットを置きっぱなしにしないこと。次のシーンまでの空白の時間を想像するのが楽しい。
ニノっぽい男のが女性を抱き締めるとき、いつも煙草を持った手>>続きを読む
伯父ホアキンが、落ち着かない甥っ子ウディ・ノーマンの面倒を見る。ウディはホアキンを試すかのような行動をとって、伯父を困らせる。そのときのウディの動きが良い。例えばレストラン。ご飯を食べずにデザートのア>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
アダム・ドライバーがジョークを飛ばすとき、マイクにはコードがついている。コードは邪魔で、不自由で、首に巻き付ければ自分が死んでしまう。だけど、そのコードがある限り、彼は舞台と繋がっているんだと思える。>>続きを読む
笑って良いのかどうかよく分からない箇所がいくつかあったけど、階段の下でうずくまるグロリア・グレアムを軽やかに飛び越える男女を見て、笑わせに来るシーンには素直に笑おうと思って観た。
ただ、刑事の妻が夫>>続きを読む
この映画では描かれなかった、ツタヤの棚の前で互いの好きな映画を教え合うシーンが観たい。3時間12分の完全版には収録されているのだろうか。
菅田将暉と有村架純が出会った明大前。何百回利用したか分からな>>続きを読む
何が映っているだとか、誰が出ているだとか関係なく、濱口竜介の映画はどこか国籍が不透明な気がしていて、この映画を観てもやっぱり同じことを思った。
第一話。
オレンジの服を着る玄里が、撮影モデルの古川琴>>続きを読む
観終わった後にまず思い出したことと言えば、イーストウッドがタックインして見せるベルトだったり(あのベルトがやたらと印象的で、彼は元“チャンピオン”なんだなって妙に納得した)、あまりお酒を飲まずコーヒー>>続きを読む
良い映画だった。始まりは刑務所の入浴シーン。一人が口笛を吹き、つられて周りの受刑者も口笛を次々に吹き始める。行動が伝播していく感じ。ただ同じ牢屋に閉じ込められただけの関係性である彼らが成すからこそ、こ>>続きを読む
強い決意と共に車のドアを閉めた瞬間、何もやることがなかった二人に、やらなければいけないことができた。それはここから逃げること。誰にも見つからずに生き延びること。
けれど二人は相変わらずやることがない。>>続きを読む
すっごく好き。ロメールの徘徊癖はこんな初期からあったんだな、と思いながら観た。
女の子の気を引くために彼女の働くパン屋でサブレーを買うなんていう子供じみた行動がいじらしいし、買ったサブレーを店先ですぐ>>続きを読む
所在なき人々の描き方が、どうしてここまでも見事なのか不思議で仕方がない。輪の中に入れない人間が、両手を使ってデコピンをやるときみたいに、中指をペチンペチンと打ち付けて場をやり過ごしているってことを、ロ>>続きを読む
「私」がコートを着ているというのに、従妹は薄いニット一枚で外を駆け回っている。葉が落ちた木々が立ち並んでいるから、恐らくまだ外の空気は冷たい。正反対の存在として描かれる「私」と従妹の、衣服の着脱を見て>>続きを読む
この人はきっと動かない、そう思っていた人が自分の意思で動き出すとき、映画全体がぐっと身を乗り出すのを感じる。例えば、森崎東監督の『喜劇!女は度胸』の清川虹子。動かざる存在の彼女が動いた後、映画がどのよ>>続きを読む
招かれざる人が葬式に訪れるシーン。彼女は入口に立つ家族へ会釈をした後、毅然とした態度で傘を傘立てに突き刺す。傘を折り畳まずに、躊躇いなくやってみせる。その一瞬の行為に、彼女なりのファイティングポーズが>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
いくつもの好きなシーンがあった。例えば、電話を掛けようかどうしようかと部屋をウロウロするところ、ダイヤルを回して相手に繋がってもすぐに受話器を置いてしまうところ。誰かを待っているのか、家の外で行ったり>>続きを読む
レストランの灯りが消える瞬間に何回も立ち会うのは、ルドガー・ハウアーが閉店までお店に居続けたから。どうしてそんなことをするのかは、橋の下で夜を明かす彼の姿を見れば明らかで、だからこの映画で灯りが消える>>続きを読む
ゾーイ・ベルが片脚だけを車中に残して身を乗り出し、もう片方の脚でドアを蹴る。それを発車の合図として、ボロボロになった車は息を吹き返して走り出す。それまで複数の視線が絡み合いながら進んでいた映画は、一対>>続きを読む
ガラス越しと画面越しとレンズ越しのすれ違い。
パソコン通信上での会話が画面に映し出されて、観客はただそれを読む。文章を読み上げるナレーションがないのは、多分、ナレーションにはどうしても声の表情が乗っか>>続きを読む
タイトルに反して印象に残っているのは、冷えきった彼らを過剰なまでに温める火。ダイナマイトの導線につけられた火は勿論のこと、パーティーの中で燃え上がる炎や、極寒の中でかじかむ手によってつけられた煙草の火>>続きを読む
原題の『Doubles vies』に対してつけられた英題は『non-fiction』。とある小説の左の頁と右の頁に描かれていた一組の男女の人生が、本を閉じてピタリと重ね合わったような、そんなイメージが>>続きを読む
何かしらの役を演じているときは、そのキャラクターにあったサングラスや靴を身に纏うけれど、役の外では誰だって自由なのだという、当たり前の事実を眺めていた。暗闇のなかでスクリーンを見つめるときにサングラス>>続きを読む
規則正しく並べられたボーリングのピンとピンの間からこっそりと世界を覗くように、イザベル・ユペールは父親と叔父の企みを盗み見る。幾度も繰り返されてきた小屋での行ないに、彼女は憎悪を膨らませる。
この映画>>続きを読む
デジタルが広まり、映画の中に暗闇が無くなりつつあると、とある監督が数年前に発言していたことがなんとなく頭に残っていて、この映画を観てはっきりと思い出した。本作にはハッキリと、豊かな暗闇が存在していると>>続きを読む
映画の中に、登場人物の戸惑いや迷いを感じるとときめいてしまう。例えば『未来よ、こんにちは』で忌まわしき花をゴミ箱に捨てるときのイザベル・ユペール。例えば『カンウォンドの恋』で部屋を抜け出す際の、一瞬の>>続きを読む
イーストウッドの姿を新作映画で目撃するのは、たぶん『人生の特等席』以来だから、随分と久し振りの再会だった。多くの映画ファンが知っている通り、この人は自分自身を劇中で度々痛め付けてきているのだけど、本作>>続きを読む
人や花火やお酒が乱れに乱れていくことを許すこの映画の中で、アルトマンは唯一、色彩が乱れることを許さない。
例えば家族で囲む食卓のシーン。部屋のなかに不自然なまでに配置された緑の数々(子供が昔描いたと思>>続きを読む
今後はズームじゃなくてピントで遊ぶ監督になっていくの?と、本作と『川沿いのホテル』を観て、まず思った。
見ず知らずの他人の酒の席に招かれる居心地の悪さといったらない。それがお店で隣の席になっただけの縁>>続きを読む
住んでいた家を離れる際、その家のペンキを塗り直す文化がアメリカにはあるらしい、ということを『6才の僕が、大人になるまで。』を観て知った。大袈裟に言うなら、誰かが家に住んでいた期間はその人たちにとっての>>続きを読む
水をあげないと草木は枯れてしまうけれど、あげすぎても枯れてしまう、ということだと思った。ホン・サンスにとっての水はやっぱり酒で、今回も挨拶みたいな乾杯が何度も聞こえてくる。ホン・サンスの描く酒の席は相>>続きを読む
青白い暗闇の中で、冷たい氷をそっと噛む。冷蔵庫の扉はちゃんと閉めず、いつも少しだけ開いているから、今月も電気代がかかってしまう。人から借りたライターをこっそり胸ポケットに入れているのはバレバレだけど、>>続きを読む