『天空の蜂』は、東野圭吾が1995年に発表した小説を堤幸彦監督が2015年に映画化した社会派サスペンスである。原発をめぐる議論を、上空に取り残された子どもの命と巨大ヘリの墜落危機に結びつけ、技術、政治>>続きを読む
『さまよう刃』は、被害者遺族による復讐という強烈な題材を通して、少年犯罪に対する刑罰、法と感情の乖離、そして国家が担う「裁き」の意味を問い詰めた社会派サスペンスである。東野圭吾の同名小説を益子昌一が脚>>続きを読む
『半落ち』は、横山秀夫の同名小説を佐々部清監督が映画化した2004年の社会派人間ドラマである。妻を殺害した元県警警部が自首しながら、犯行から自首までの空白の2日間についてだけは口を閉ざす。この「なぜ語>>続きを読む
東野圭吾の同名小説を岸善幸が映画化した『白鳥とコウモリ』は、殺人事件の真相を追うミステリーであると同時に、「加害者の家族」と「被害者の家族」という決して交わらないはずの2つの立場を反転させながら、罪と>>続きを読む
『ハドソン川の奇跡』は、航空事故という巨大な題材を扱いながら、スペクタクルにも英雄譚にも安易に傾かない。クリント・イーストウッドが描いたのは、奇跡そのものではなく、極限状況で下された判断と、その判断を>>続きを読む
『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』は、リー・チャイルドの小説を原作とするシリーズ映画第2作であり、前作『アウトロー』が備えていた乾いた犯罪映画の感触を、よりオーソドックスな逃亡劇とア>>続きを読む
『メッセージ』は、異星人とのファーストコンタクトというSFの古典的題材を、侵略や戦闘ではなく「言語」と「時間」の問題へ転換した作品である。テッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』をエリック・ハイ>>続きを読む
『マネーモンスター』は、金融市場が高度に複雑化する一方、それを伝えるメディアが投資を娯楽へ変換していった時代を、テレビ局ジャックという極端な状況から切り取った社会派サスペンスである。監督ジョディ・フォ>>続きを読む
『湯を沸かすほどの熱い愛』は、余命を宣告された母親を主人公に据えながら、死そのものではなく「自分がいなくなった後を、残された人々がどう生きるか」を描いた家族映画である。中野量太の商業映画デビュー作であ>>続きを読む
『オデュッセイア』は、ホメロスの叙事詩をクリストファー・ノーランが現代映画最大級のスケールで映像化した野心作である。西洋文学の源流に位置する物語を、海、船団、戦場、怪物、古代都市の圧倒的な物質感によっ>>続きを読む
『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』は、1997年の連続ドラマから約30年を経て、青島俊作を再び物語の中心に据えたシリーズ最新作である。かつて『踊る大捜査線』が画期的だったのは、>>続きを読む
『ラ・ラ・ランド』は、古典的ハリウッド・ミュージカルへの敬意を現代のロサンゼルスに移植しながら、恋愛と夢、そして人生における選択と喪失を鮮やかな映画言語へ昇華した傑作である。デイミアン・チャゼルは、歌>>続きを読む
『64 ロクヨン 後編』は、前編で構築された警察組織、報道、家族、未解決事件という複数の層を収束させながら、犯罪映画の緊張と人間ドラマの深度を同時に極限まで高めた作品である。前編が組織内部の力学を描く>>続きを読む
『64 ロクヨン 前編』は、日本の警察映画、組織映画が到達した1つの頂点である。横山秀夫の小説を瀬々敬久が映画化した本作は、昭和64年に発生した少女誘拐殺人事件を中心に据えながら、事件そのものだけを追>>続きを読む
『怒り』は、吉田修一の同名小説を『悪人』に続いて李相日が映画化した、日本映画の群像劇における屈指の到達点である。八王子で起きた夫婦殺害事件を起点に、千葉、東京、沖縄という3つの土地へ物語を分岐させ、そ>>続きを読む
『シン・ゴジラ』は、1954年から続くゴジラ映画の文法を解体し、怪獣との戦闘ではなく、未知の巨大災害に直面した国家の意思決定そのものを映画の中心に据えた異色作である。庵野秀明が選んだのは、英雄ではなく>>続きを読む
『許されざる者』は、西部劇というジャンルが長年築き上げてきた英雄神話を、その内部から静かに解体したクリント・イーストウッドの代表作である。セルジオ・レオーネやドン・シーゲルの映画を通じて、銃を持つ男の>>続きを読む
『時には懺悔を』は、打海文三のミステリーを、事件の解決から人間の再生へと静かに反転させる映画である。殺された探偵が追っていた9年前の新生児誘拐事件。その先にいる、重い障がいを抱える少年・新と、彼を育て>>続きを読む
『エディット・ピアフ 愛の讃歌』は、伝説的歌手エディット・ピアフの生涯を描いた音楽伝記映画であり、同時に「偉人の人生をどう映画にするか」という難題に対して、極めて大胆な回答を示した作品である。貧困の中>>続きを読む
『ニュースの真相』は、ジャーナリズム映画の伝統に連なりながら、その英雄性ではなく「報道する者が間違える瞬間」を正面から扱った異色作である。2004年、CBSの報道番組「60ミニッツII」がジョージ・W>>続きを読む
『ズートピア』は、ディズニー・アニメーションが得意としてきた擬人化動物の世界を、現代社会を映す寓話へと発展させた作品である。肉食動物と草食動物が共存する巨大都市を舞台に、偏見、先入観、恐怖による分断と>>続きを読む
『ハリー・ポッターと賢者の石』は、後に映画史上屈指の巨大シリーズへ成長する物語の出発点であると同時に、児童文学の幻想世界を実写映画として定着させた2000年代ファンタジー映画の重要作である。J・K・ロ>>続きを読む
『ルーム』は、監禁という極端な状況を扱いながら、犯罪の解明や加害者の追及を主眼とせず、「世界を獲得すること」と「失われた人生を取り戻すこと」を描いた稀有な作品である。エマ・ドナヒューが自らの小説を脚色>>続きを読む
『LION/ライオン ~25年目のただいま~』は、実話を題材とする映画が陥りがちな「事実そのものの感動」に依存せず、記憶と喪失、2つの家族への愛を映画的な時間へ変換した秀作である。ただし邦題は惜しい。>>続きを読む
『バケモノの子』は、『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』で評価を確立した細田守が、親子、師弟、成長という普遍的な主題を、人間界とバケモノ界をまたぐ冒険活劇のスケールへ押し広げ>>続きを読む
『スポットライト 世紀のスクープ』は、ジャーナリズム映画の系譜において『大統領の陰謀』と並べて語るに値する傑作である。ボストン・グローブ紙の調査報道チーム「スポットライト」が、カトリック教会による児童>>続きを読む
『ビリギャル』は、実在の受験体験をもとにした成功譚という、扱いを誤れば安易な感動物語になりかねない題材を、教育、家族、自己肯定という3つの軸から組み直した青春映画である。2010年代の日本映画には、実>>続きを読む
『イニシエーション・ラブ』は、乾くるみの同名小説を堤幸彦が映画化した恋愛ミステリーであり、「映像化は無理」と思われた原作を、映画ならではの方法で成立させたこと自体が、本作最大の成果である。原作の核心は>>続きを読む
『ブリッジ・オブ・スパイ』は、冷戦下の米ソ対立という巨大な歴史を描きながら、その中心に「国家」ではなく「法と良心を守ろうとする1人の市民」を置いた、スティーヴン・スピルバーグ後期を代表する歴史ドラマで>>続きを読む
『オデッセイ』は、宇宙サバイバル映画の姿を借りながら、人間の知性と楽観主義を真正面から肯定した作品である。リドリー・スコットは『エイリアン』『ブレードランナー』などで宇宙を不安や孤独の領域として描いて>>続きを読む
『キングスマン』は、英国スパイ映画が長年築いてきた様式美を敬愛しながら、その権威を笑い飛ばし、過剰な暴力と悪趣味すれすれのユーモアによって再構築した異色の娯楽作である。原作はマーク・ミラーとデイヴ・ギ>>続きを読む
『キャロル』は、1950年代初頭のニューヨークを舞台に、社会的規範によって許されなかった女性同士の愛を描きながら、恋愛映画というジャンルを極めて洗練された形で更新した作品である。パトリシア・ハイスミス>>続きを読む
『世界一キライなあなたに』は、障害を介した恋愛映画の形式を取りながら、「愛は他者の人生の選択を変えられるのか」という問いに、観客が期待する答えをあえて与えない作品である。ジョジョ・モイーズが自身の小説>>続きを読む
『レヴェナント:蘇えりし者』は、映画という表現が自然と肉体をどこまで生々しく捉えられるか、その限界に挑んだ作品である。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの演出とエマニュエル・ルベツキの撮影が生み出>>続きを読む
『ザ・ウォーク』は、フィリップ・プティの著書を基に、1974年8月7日、フランス人の大道芸人フィリップ・プティがニューヨークのワールド・トレード・センターのツインタワー間で行った綱渡りを映画化した作品>>続きを読む
『ワイルド・スピード』は、後に巨大フランチャイズへ成長するシリーズの原点であると同時に、2000年代初頭のストリートカルチャーを映画として封じ込めた作品である。現在のシリーズに定着した荒唐無稽な超大作>>続きを読む