シン・ゴジラよりもずっと面白い管制室映画。典型的なトロッコ問題とドローン軍事利用を真正面から扱うという点も惹かれた。少女に過剰に物語を投影するのはやや醒める。
エンタメとしてよくできてると思うけど、圧倒的才能は差別にも打ち克つなんて文脈に回収されかねない危うさがある。偉人伝として見るなら、数学と計算機まわりを蔑ろにしすぎである。結局本当に彼女はオイラー法を手>>続きを読む
セリが化粧をするシーンの巧みな鏡の用い方、繰り返し挿入されるカーテンの不穏さ、屋内外での縦の構図、あるいは夜の商店街のロングテイクなどなど。「家」が停電してからはその真髄を見られ、セリの居場所はお構い>>続きを読む
愚直に「反復と差異」を積み重ねる姿勢は韻を踏むような詩表現にも通ずるのだろうか。やや浮世離れしたアダム・ドライバー演じるパターソンが目撃する出来事やそこで出会う人々は、どこか既視感を覚えつつも毎日少し>>続きを読む
のっけからカメラの動線一つで建物の構造や人物の位置関係を提示してみせる。手持ちカメラは揺れまくりで、被写体との距離は近く、雑多な喧騒、ノイズを必要以上に拾い上げる。基本的にドキュメンタリーのような手触>>続きを読む
上昇と落下,TV映像とメディア史,母と子,窓とフレーム.どこをどう切り取ってもベロッキオの映画という感じ。母子のかくれんぼのシークエンスがちょーエモい。
勧善懲悪だとか、倫理や道徳に基づく原理は一切働かないし、劇中の人物にも内在しているようにも見えない。社会の求める「定型」からは逸脱した人間ばかりが織りなす矢印入り乱れた人間模様は、共感しやすい類の人間>>続きを読む
「あいつはほんとはいいヤツだった」って周りの人間に言わせるのがダサすぎて興ざめした。
通行人にタックルかます玉突きシークエンスが最高で何度でも見ていたい。
スマホのメッセンジャーはすっかり画面に馴染み、サスペンスの小道具として機能している。日々グローバルマーケットを飛び回るパーソナル・ショッパーという職業の無国籍さゆえに、クリステン・スチュワートにとって>>続きを読む
プールのシークエンスの眩しさ。ケチャップ祭りの出鱈目さ。体と体のぶつかり合い!
指と指が接触し、舐めるように絡め合うショットの恍惚さたるや。初めて斎藤工が画面に現れてから、二人の視線が交わるまでの焦らしプレイを経て、伊藤歩がクラクションを鳴らすまでの序盤の展開は非常にスリリング。>>続きを読む
乗り物をとっかえひっかえしながら、移動しては停滞しを繰り返す。見慣れた風景から、匿名のどこかへ。無人のコンビニから出鱈目なエレベーターの世界へと観客を文字どおり誘う。
タクシーの車載カメラとiPhoneのカメラのみで構成された,メタにメタを重ねた知的好奇心を擽る傑作。序盤、いかにもウソっぽい乗客の「語り」や「巻き込まれ」が続くが、観客がメタフィクションに慣れ切ってい>>続きを読む
溶ける風景、何層にも連なる画面の上に浮かび上がる男女の顔、オフの声。欲望や軽薄さが剥き出しになる。下世話で身も蓋もない話なので見やすかったけれど、画の戯れにはあまり興味を抱けなかった。キャロルの方がず>>続きを読む
貴族のボンボンと廃墟で貧困に喘ぐ兄妹によるプチ冒険譚。他のムラートワ作品に比べると内省的な要素は少なくキャッチーで見やすいかも。妹からは幼さや可愛らしさと同時に底知れない狂気も見えてきてなかなか強烈。>>続きを読む