対話の映画であるからか、口にまつわる描写が多かったのは気のせいではないような気がする。
大きすぎる入れ歯、タバコを吐く息、掬った水に口をつけて飲むこと、過呼吸、歌うこと。
宗教観の欠如が日本語圏に住>>続きを読む
めちゃめちゃ面白いのにめちゃめちゃ軽いのが良い。なんというか至る所に"センスオブワンダー"としか言えない魅力が詰まってる。
けっこう久しぶりに劇場で大勢が声を笑ってる瞬間を何度も目にしたかも。
怪我>>続きを読む
映画が始まって数秒で前作とは違う語り口で、尚且つ前作よりもヤバいことをやろうとしてることが伝わる。伝わるとか以前に目に、脳に映像が飛び込んでくる。
ストリートカルチャーとサンプリングによるヒップホッ>>続きを読む
とても良い意味ですべてが軽くて最高。
こういう映画をレイトショーで見て外に出て澄んだ道を歩いて帰るのが大好き。
オープニングのシーンの鮮烈さにはじまり、ミーガンの顔の歪みを捉えるショットのおぞましさで>>続きを読む
安藤サクラが駐車するシーンが3回程あったことがすごく記憶に残っている。
この映画の中で車をはじめとする「乗り物」は非常に印象的に取られている。
助手席から飛び出すシーン、校長先生のエピソード、湊と依里>>続きを読む
真っ当にとても良い映画だと思った。
『可能性』の映画だと自分は思った。
スーパーマリオはゲームとしても、出来なかったことが繰り返し挑戦することで乗り越えられるようになる、反復の可能性のみで進行するゲー>>続きを読む
時に錯覚するけれど、映画は答えを示すものでも、受け手をひとつの方向に煽動するものでもない。
人間の身体性を映像として収めるということだけでも価値があるし、言ってしまえばそれは映画にしかない価値とも言え>>続きを読む
たしかにおれはスクリーンに向かって何度も落涙したし、思い入れだけで言うならば監督やキャストに対して「ありがとう」と強く思う。
でも、それだけで全てを良しにしてしまったらもう思い入れだけで映画を見ている>>続きを読む
正直見終わった直後は良くも悪くもなんてことない映画だと思ってたけど、時間が経てば経つほどそのなんてことなさがめちゃくちゃ良く思えてくる不思議。
バスルームシーンの緊張感とか、トランクのシーンのやり取り>>続きを読む
"縫う"というのは別々の何かを糸で紡ぎ、繋げるという行為でもある。
しかしそれは意図せず繋がりたくない何かと繋がってしまうことだったり、強制的に何かと結びつけられることにもなる。
原作からそういうこと>>続きを読む
もう一回見た。非凡な才能への畏怖、しかしその才能を見逃さないこと、自分にすべきことをするというアイデンティティの映画だと改めて思った。
例えそれが自分の名ではなくても、絶対に未来に残すべきものがある。>>続きを読む
いわゆる効率化や合理主義のようなシステム(ひろゆき的な振る舞いと言ってもいい)は、そのシステムについていけない人を振り落とし進んでいく。その加速は目に見えて進んでいるし、自分もその空気に侵されている部>>続きを読む
広く言えばこういう奪還ものが陥りがちな、じゃあ今までやったこと意味ないじゃん!がひとつとしてない。これが当たり前に出来てる時点で良い。
予告の寒いノリだけを見ていたら絶対見なかったのは確かにそうだけど>>続きを読む
これだけやれたいことをやれる映画でもお金が足りてないんだなぁと思った。場面によって異常に粗くなる画質が狙ってるものなのだとしたら映画としての志が低過ぎると思うのでそう解釈した。
正直、楽しめる人が楽>>続きを読む
内と外についての話だと思った。
部屋に呼ばれること、秘密の場所を教えること、部屋の扉を他者に破られること。
そういうことをひたすら続けていく物語(あるいはセックスもそういうモチーフのひとつと捉えても良>>続きを読む
映画を見終わってこの映画についてどう思えばいいのか、結構困ってしまった。
冒頭、雪が降る中ひとりサックスを練習する大の近くに一匹の猫が近づく。
大は猫に向かって「おまえも一人なのか?」と声をかける。>>続きを読む
たまらず二日連続で二回見た。
話したいことは山のようにあれど、どれだけ言葉を尽くしても語りきれないので、「映画」が見たいと思うのであれば、できるだけ多くの人が見たほうがいい。
「映画」と呼ばれるだけの>>続きを読む
MCUがマルチバースで描こうとしてることなんて、もうこの映画のなかに全部あるんじゃないかと思う。
自我の分裂と自己肯定、他者にそれを分かって欲しい願望(もちろんセクシャリティの在り方はそれとは別の固有>>続きを読む
ほとんど家庭と大人(この場合、藤原季節は大人に含まない)が登場しないことや、恐らく意図したであろうクライマックスへ向けてのカタルシスの排除や、言ってしまえば間延びしていると言ってもいい演出は良い。
そ>>続きを読む
誰にでもやさしさを捧げられる人なんていない。「良い人」なんて簡単に括れるほど人は単純じゃない。理性のほかにも人には本能がある。食って寝て、そして交わる。
ただ、人間はそういうものって割り切るには少し>>続きを読む
ジョナサン・メジャースの本当に悲しい表情にしか良さを見出せず、それ以外は終始興味も興奮もない。かといって怒りもない。まじで無。
そりゃスターウォーズの廉価版(元の価値もそんなにはない)みたいなグリーン>>続きを読む
冒頭から何度か繰り返される、「わかりやすく言え」という部下とのやりとり。またはソレが韓国語が上手くないということを理由に必要となる言葉の解読。
見終わってみれば「言葉や意味の分解」の話だったと納得でき>>続きを読む
タイトルから想像するよりも、もっともっと無軌道でアンコントローラブルなドキュメントだった。
こどもたちが視点を獲得していく瞬間がごく自然に映っているのが良かった。
最初は池に石を投げてその音と映像を>>続きを読む
どんな筆を使っていてもルカ・グァダニーノが映画として描こうしているものは作家性としてそう大きくは変わらないし、その手腕は見るに明らかなので、だから良い。と言ってしまえばそれまで。
例えば挿入される景観>>続きを読む
映画への愛って何なんだっけ。と思った。もちろんそんなもの無数に答えがあって正解も不正解もない。
ただ、あくまで自分の中では”引用という形式”でもって愛だ、というのは受け入れ難い。
そういう視点で見たら>>続きを読む
前半部分でかなり快眠をかました。けどそれは全然ネガティブに自分は捉えてない。
だからこそ感想を書くのには時間がかかったけど、時間が経つほど“他者との関係”としてこういうことって全然あるよなって思う。>>続きを読む
何も発展がないのに移動し続ける、ということが映画としての正解すぎる。移動し続けるということは振り返る動作に意味が生まれるし、東京と北海道の景色の変化にも当たり前だけどハッとさせられる。
あとは、台詞>>続きを読む
盗み見ることや侵入がひとつの映画のモチーフとしてあるはずなのに映画としてのスリルが全くない。
それはきっと映画としての見る/見られるの視点に面白みがないからだと思う。
スリルについてはそういうものを指>>続きを読む
面白い、意義深いというだけで十分な筈なのに、それが"好き"に変換されないのは何なのかは考えたい。答えはまだない。
水と火のイメージの連なりとかには映画を感じるけど、それ以外は「強い画だなあ」と思ってし>>続きを読む
ストーリーテリングとしての撮影が良かった。
もしもこのテーマで一貫して蘇畑さんの主観だったら作品としても一面的になってしまうけど、画面に映ってる人のほとんどを平等にカメラで捉えているように思った。
食>>続きを読む
トンネルのシーンの音とか部分的に面白いところが幾つかあったけど、映画としての飛距離があまりに無すぎる。
どれだけアナロジーを駆使したってアナロジーの元が既に表出しているのだから、それは単に答え合わせに>>続きを読む
この映画が冒頭に話す"映画における衝突シーンは浮遊感を与える"を実現するシーンがめちゃくちゃ好きだった。
ノア・バームバックが本当にパニック映画をやるわけないとは思っていながら、映画が舵を切る方向が読>>続きを読む
当たり前だけど、映画に何を求めるかによって見え方って違うよなって心底思った。
自分は原作(と呼ばれるものがあれば)への忠実さとか、あるいはノスタルジーみたいなものには本当に興味がない。
知っているもの>>続きを読む
例えば冒頭のシーン。固定されたカメラが捉えるのは一匹の馬と数匹のアヒルと一匹の山羊。右上では炎が上がっていて、何度かカットが変わった後に奥から人が歩いてくる。と思っていたらカメラは急に後ろに引いていき>>続きを読む
こういうものが見たかったの凝縮。おれはMCUを楽しみにしてたんじゃなくてガーディアンズをずっと楽しみにしてたのかもしれないとすら思わされた。
"あの人のためにプレゼントを用意したい。クリスマスのことは>>続きを読む
予告もあらすじも何も見ずにアニャ・テイラー・ジョイが料理人を目指すか、新人批評家として料理人のレイフ・ファインズと戦ったり…くらいの想像で観に行ったら度肝抜かれた。
ノンストレスで120分ひたすら脳が>>続きを読む