後半、舞台をベネツィアに移してからがやっと私の見たかったイオセリアーニという感じではあるが、それでも「今、誰の何を見ているんだ?」という作家性は健在だし、クローズアップや切り返しが手段として存在しない>>続きを読む
人と人がすれ違うことだけでシームレスに紡がれるような主張の弱さが良くも悪くも群像劇を余計に希釈させる。群像劇が苦手故に一人に焦点を当てたイオセリアーニの物語が観たい。
勝手に理想としていた求めているイオセリアーニと違うとしか言いようがない。自分が興味を持てない時代背景や記号の連なり且つカタルシスにも及ばず。人物の内側に触れないような撮り方をしているから時代を跨いだり>>続きを読む
『影の列車』的な多重露光やら列車爆破事故の低予算映画的な演出やら地味に振り幅の広さを見せる。バブル期であり皮肉とはいえ、こういうのを客観的に見ると外国人からしたら日本も中国もやっていることは一緒に見え>>続きを読む
ドキュメンタリー性に正反対のようなフィクション性が塗り込まれることの毅然とした態度。生首ってちゃんと生首として認識しないと画面内にあっても意外と気付かないものなんだな。ナタを投げて木に刺したり、「アバ>>続きを読む
撮るべきものを撮っているのは分かるが、惹き付けられるものを感じられない。皆んなの体調が良ければ同じキャストで20年後に続編を撮りますっていうイオセリアーニの希望的観測。
群像劇というか羅列というか。『ある映画作家の悩み。白黒映画のための七つの断片』でも思ったが、イオセリアーニの映画に拳銃は不適応な気がする。
なんの予定も立てずに辿り着いた土地でこのようなパレードを地元民に紛れて鑑賞したり、ヨーロッパの牧草地による羊の大移動を生で見たい。
パンを食べてる青年がめっちゃレオっぽい。パリの街を行き交う様々な犬種の犬たちだけを撮っていれば良いと思う。
ほとんど日常を切り取ったドキュメンタリーのようなものだから全く記憶に残らなくて参った。日本のアニメ以外にも牛の鳴き声で綺麗に終わる作品ってあるんですね。
ロバートのコントかよ。なんかフランス映画の既視感があると思ったらジャンピエールレオの面影かもしれない。若かりし頃の彼の挙動を彷彿とさせる。
ただただジョージアの自然に思いを馳せる。FIREして牧歌的な生活を送りたい。
なんてことないシーンの連なりなのに見れてしまう面白さがある。マリーナカルツィワーゼがボール的な物を綺麗に蹴る行為、『クローズアップ』の缶蹴りではないが、こういう細部に神は宿るし記憶に残る。
『ポンヌフの恋人』ばりに飛び散る火花。モノクロを物ともせず暗闇の溶鉱炉を流れる冶金の色味。クレーン操作のおっさんが迫ってきて終わるラスト然り、ただの記録映像ではないセンスが垣間見える。
節々にジャックタチを想起するような演出だが、イオセリアーニの構図には惹きつけられるものがあるし、『水彩画』同様に俳優に運動を与える演出にも長けている。
そりゃ窪塚洋介に見得を切らせたら右に出る者はいないだろうが、舞台の一幕を見ているかのような劇伴と演技の自己主張と切腹の相性は悪い気がする。静寂の中に生まれる狂気を演出してこそ。
冒頭から音楽に頼りすぎていてうるさい。コロナ禍に撮影された怒りと希望はメッセージ性だけが独り歩きした抽象的な祈り。『ポルノスター』然り、豊田利晃って渋谷のスクランブル交差点によるゲリラ撮影が好きだよな>>続きを読む
豊田利晃って良くも悪くも音楽や音響に対する信頼が大きいようで、それが音楽の場合は特に喧しく感じる。劇場鑑賞による体感が推奨される聴覚への刺激は疲労するだけ。
フランスと日本の良いとこ取りをしたかのようなジブリ的な世界線。現実的な飛行機で国を移動することなく森を抜けたら日本の故郷に辿り着くシームレスな展開ながら撮影に自己主張なカットやショットがなくて良い。日>>続きを読む
祝宴の摩阿陀會の混迷を極める昭和のノリが見るに堪えない。近所の地主が日照権を考慮するシーンが唯一の美徳。また、その粗末な仮小屋の淡い虹色が『どですかでん』。
振り幅が広いオムニバスであり結末に無難なオチを付けていないのが良い。遠方からズームショットで捉えているだけで芸がない撮影には勿体無さを感じるが、ゴッホの『アルルの跳ね橋』から始まり南仏の景色をそっくり>>続きを読む
首筋に短刀を少し当てただけでちゃんと切れているのが流石だし、そのあと傷口を舐める流れも良い。城を攻められたら女性陣が自決したり猛将の盾になったりしながらその周りを矢がビュンビュン飛び刺さっている画が強>>続きを読む
合戦のベストであり原点にして頂点なのでは?流石に次元が違うし、これこそが黒澤明にしか撮れない真骨頂。風林火山の風、林、火が別れを告げるシーンが尋常ではないほど格好良くて落涙。夢でも現実でも地獄のように>>続きを読む
頭師佳孝が演じる電車バカのキャラ設定がありながら『どん底』的な市井の群像劇に散漫されることに黒澤明の露悪性を感じる。ホームレス親子は三谷昇の「なぜ日本人は木造建築を好むのか」理論は永遠に聞けるが。
傍若無人な医者の話かと思いきや三船敏郎の役回りが保護者になって加山雄三を導いている、その事実だけで思いの外185分は保たれるし人情ドラマとしてもそれぞれの焦点に誠実さが宿る。
雄大積雲と菜の花が咲き乱れた丘の重なり、そこに列を成して行進する牛の光景。老後の趣味として植物を愛でる老人は尊いと思っていた矢先の無惨な仕打ち。
子供が誘拐されて三船敏郎と仲代達矢が悪戦苦闘しながらも犯人逮捕に奮闘する前半は興味深く能動的に観れたのだが、途中から黒澤明の露悪的な冗長とした捜査過程に興が削がれる。あと、シネスコを有効活用したいから>>続きを読む
美術館で自分の家と酷似した水彩画を見ているときのショットがワンフレームに収めるのではなく夫婦の顔半分が左右で見切れていて唸る。しかも、劇画調にメイクされていて一段とバキバキ。最初の夫婦喧嘩のときとラス>>続きを読む
16mmフィルムが映し出す湖畔の乱反射には刹那的な煌めきと暗示的な不穏が入り混じる。カオナシのポスターが貼ってあってシャルロットルボンが宮崎駿のファンであり『千と千尋の神隠し』が好きなのであれば単純な>>続きを読む
3DCGによってアクションの際にダイナミックな表現が可能になっていると同時に疾走感や臨場感が失われている。しんのすけがいじめっ子に立ち向かっているシーンにて、近年の風潮であればみさえの「逃げても良い」>>続きを読む
時折、緊張と緩和の緩和が喜劇的で好みから逸れていたが、ラストの決闘で豪快に血飛沫が噴き出すシーンにより緊張で終幕する鑑賞後感の良さ。三船敏郎の「私の名は、、◯◯三十郎。もうそろそろ四十郎ですが」シリー>>続きを読む
冒頭にて枝を空に投げて落ちた向きで行先を決める無法者スタイルの元祖か?野良犬が人間の手を咥えて通り過ぎる掴みの良さやベッケルばりの往復ビンタ。人を斬る際の効果音がないことのオーガニック感。黒澤明は12>>続きを読む
シネスコの恩恵により構図は端正で惹かれるものがあるのだが、如何せん長尺が過ぎる。黒澤明の現代劇にあまり魅力を感じないので尚更。否が応でも増村保造を想起して比較してしまう。『復讐するは我にあり』的な語呂>>続きを読む
『スターウォーズ』には全く興味がないが、今作の脚本をSFに落とし込んだジョージルーカスは凄いな、と改めて思う。シネスコを導入した映像のアクションは明らかに格式高いものへと変貌を遂げ、エキストラの数に圧>>続きを読む
ラストの選択は勿論のこと、書籍の文字に穴を開けて解読式にメッセージを送ったり独房の暗闇が暗転としてシークエンスの機能を果たしていたりと、静かながら演出が手堅い。ロゴフスキの出演作品を追うごとに彼の演技>>続きを読む
脚本の沈殿や場面転換の乏しさやは一目瞭然だが、狭い長屋で情報量の多い入れ替わり立ち替わりは動線に工夫が見えて良い。